母さんに叩き起こされて目を覚ますところから、僕の一日が始まる。
大きく新聞を広げてコーヒーを飲む父さんの横で大急ぎの朝食を摂り、再び母さんに急かされながら家を出る。
学校ではあくびを噛み殺しながら授業を受け、体育の時間にはトウジやケンスケとふざけいて怒られることもしばしば。
購買のやきそばパンを奪い合ったり寄り道をしたり、同じようなことの繰り返しの毎日だったけれど、それでも僕は結構楽しくやっていた。

そんな僕の生活にアスカという一人の登場人物が加わって数日。
単純な繰り返しの日常に大きな変化が訪れた。

毎朝アスカが僕を迎えに来る。
一見微笑ましいことのように見えるが、実際のところ全然微笑ましい出来事ではなくて。

「これ持って」

そんな言葉とともに、毎朝アスカの鞄が飛んでくる。
当然僕に拒否権はなく……毎朝一緒に登校する僕たち、特にアスカの鞄を持って登校する僕を見てクラスの多くが何か勘違いをしているらしい。

「惣流さんと碇君て付き合ってるの!?」

有り得ない想像をする輩まで現れた。

「ち、違うよっ!!」

こんな恐い女と、誰が付き合うか!
僕は必死に弁明するも、アスカはなぜか否定しない。
否定しないだけではなく、少しはにかんだりして。

「えっ……そんな……そんなことシンジくんに迷惑だわ、きっと」

おいおいっ、どの口がそんなことを言わせるんだ?
二人でいるときは、僕のこと「バカシンジ」って呼ぶくせに!!
とんだ二枚舌、いやいや、とんだ二重人格だ。

学校でのアスカは、相変わらず天使のような微笑で、僕の前だけで見せる悪魔のような態度は億尾にも出さない。
明るく元気なだけでなく勉強もスポーツもできるようで、すっかりクラスのアイドル的な存在になっていた。
僕はいつかアスカの本性をみんなに明かしてやりたいと、憎からず思っているのである。

そんなに僕のことが嫌いなら、僕と一緒にいなきゃいいのに。
なのにアスカは僕のそばから離れない。
朝だけでなく帰りも必ず僕と一緒に帰ろうとする。
寄り道も許されず僕は毎日アスカと一緒に家路につき、家に帰れば着替えを済ませるとまたすぐに僕の家にやって来る。
そうして、ひとしきり僕の部屋を自分の部屋のようにして過ごした後、夜に片足を突っ込んだくらいの時刻に自分の家へ帰っていくのだ。

僕は勇気を出して、一度だけアスカに聞いたことがある。
「何で毎日家に来るのか」って。
そしたら、アスカは言ったんだ。

「家にバカシンジ一人じゃ寂しいと思って、わざわざ来てやってるんじゃないっ。 ありがたく思いなさいよ」

だって。
あれ、本当はアスカが寂しいんだよ、きっと。
でも変だよね。
あのアスカが、留守番が寂しいだなんて考えられない。

小さな頃から両親は共働きで留守がちだったけど、僕はひとりで寂しいなんて思ったことは一度もない。
それどころか気楽でいいかな、なんて思ったりして。
僕の両親とアスカのお母さんは同じ研究所の同じ部署で働いているから、アスカも状況は同じはず。
今更、ひとりで留守番するのが寂しいだなんて思えない。
それでも毎日僕の家にやって来るのは、なんでだろう。
知らない場所で、アスカでも心細かったりするのかな?

僕にあんなに突っ掛かるのも、もしかしたらそのせいなのかな……?



人間とは不思議なもので、何にでも順応するという能力が備わっているらしい。
1週間も過ぎると、僕はアスカという登場人物に何の違和感も感じなくなっていた。
それどころか、僕たちは昔からずっとこうして過ごしているような気さえしたりする。

ある日のこと。
学校へ到着した僕たちは、いつものように席に着いた。
いつものように僕の斜め前の席にアスカが座り、いつものように鞄を開けてアスカが教科書を取り出したときだった。
ヒラリと僕の足元に、何かが落ちた。
手に取ると、それはどうも本の栞らしい。
薄紫色の小さな押し花が白い紙に貼られ、上からビニールカバーのような物でコーティングされている。
一目で手作りだとわかるような物だった。

その一枚の栞を目の前にして、僕にはいくつかの疑問が浮かんできた。
押し花にされたその薄紫色の花は、花に詳しくない僕でさえわかるような雑草である。
「何こんな花、大切にしてんのよっ」とか言いそうなアスカが、なぜそんな雑草をわざわざ押し花にしたのか?
しかもそれで栞まで作って。

おまけにそれはアスカにとってはとても大切なものであるらしい。
押し花の台紙になっている白い紙は全体的に黄味がかっていて、相当年季の入ったものであろうことは容易に推測できた。

そして何よりも僕をいちばん驚かせたことは、僕の手から栞をひったくるようにして奪い返し大きく動揺しているアスカの姿だった。

「アンタ……今、見た?」

アスカが小さく呟いた。

「えっ? あっ、栞のこと?」

「どんな栞か見たかって聞いてんのよ」

「どんな栞かって……薄紫色の小さな花が付いていたことくらいしか……」

「他には?」

「他に……? それ以外は良く見なかったけど」

アスカは言葉の真偽を探るべく僕の顔をジッと見つめていたけど、僕の瞳からは嘘は読み取れなかったのであろう。

「あっ、そ」

ホッとしたような、少し寂しいような、そんな顔をしてアスカは席に戻っていった。



その日の帰り道。
すっかり習慣になってしまったアスカとの下校途中、突然アスカがこんなことを言い出した。

「ちょっと寄り道したいんだけど」

「寄り道? いいけど、どこへ?」

「公園」

公園と聞いて、僕はマンションの前にある公園を思い浮かべる。
住宅街にある公園だから決して十分な広さがあるとは言えない。
その上弾けてしまいそうなほどたくさんの花を付けていた桜も今はすっかり緑に覆われ、わざわざ見に行くようなものでもない。
そんな公園に、アスカは何の用事があるんだろう。
まあ僕も他に用事があるわけでもないし、断る理由もないけど。

「うん。いいけど。何かあるの?」

「ちょっとね」

それだけ言うと、アスカは僕の前を歩き始めた。
次の角を右に曲がれば公園の入り口というところまで来たのに、なぜかアスカは角を左に曲がる。

「あれ、アスカ? マンションはこっちだよ?」

「はぁ? アンタ何言ってんの? 何でマンションに帰るのよ。まだ寄り道してないじゃない」

「えっ、だって公園って……」

「アンタまさかマンションの前の公園だと思ってたの? 家の前の公園へ行くのにわざわざ寄り道だなんて言う訳ないでしょ。もぅ、本当にバカなんだから」

頭ごなしにバカと言われて気分がいいいわけがない。
少しだけカチンときた僕は、珍しく憮然とした態度でアスカに尋ねた。

「アスカは公園としか言わなかったんだから、仕方ないじゃないかっ」

「アンタだって、どこの公園なのか聞き返さなかったじゃない」

「それはそうだけど……」

確かに家の前の公園に寄るだけで「寄り道」と言うには大袈裟過ぎる。
戸惑う僕をよそに、アスカは大きくため息をついて大きく肩を竦めた。

「丘の公園よ」

「えっ?」

「だから、丘の公園に行こうと思ったのよ」

アスカが口にしたその目的地は、すっかり記憶の片隅に追いやられていた遠い昔の思い出の場所だった。




...続く




あとがき

無事に第4話までやって来ました。
まったりした話しですみません。
今回の連載、目指すところはホンワカラストなので、
波瀾万丈な物語を期待されていた方には、今のうち謝っておきます。
ごめんなさいwww

でも、でも、次回もまたお会いできますように。





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