「シンジ〜、早くしなさい! アスカちゃん、迎えに来てくれたわよ」

「今行く!」

玄関から母さんが僕を呼んでる。
アスカが迎えに来てくれたらしい。
昨日のこと、怒ってないのかな。
僕は小さからぬ不安を胸に抱えながら、急いで鞄を掴むと部屋を飛び出した。
そんな僕を見て、母さんが呆れたように言う。

「本当はあなたが迎えに行くべきでしょ。アスカちゃん、ごめんなさいね。こんな風だから頼りないと思うけど、何か困ったことがあったらシンジに言っていいのよ」

「ありがとうございます、おば様」

アスカはそう言ってニッコリと微笑んだ。

「シンジくん、おはよう。今日は一日よろしくね」

「あっ、うん。じゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

僕は挨拶もそこそこに、
アスカは一度母さんに向かって振り向き、軽く会釈して外に出た。
どうやらアスカは昨日のことを怒ってはいないみたいだ。
僕はホッとして、後ろのアスカを振り向いた。

「昨日は本当にごめん……うっ」

振り向きざまに、アスカの鞄が飛んできた。
……と、飛んできた? なんだっ?

「これ、持って」

「えっ……?」

さっきまで笑顔で母さんと話をしていたアスカは、今は両手を腰に当てて、僕のことを見下ろしている。
いや身長は同じくらいだから、正確には見下ろしているということはなく、見下ろしているかのような視線を僕に送っている、という方が正しい。
これが昨日の可愛らしい話し方をした美少女と同じ人物なのか……?

「これ、持ってって言ってるの」

「えっ……なんで僕が……」

「なんか文句あるわけ?」

そこまで言われた僕は、ハタと我に返った。

「何で僕が持たなくちゃいけないんだよ。鞄くらい自分で持てばいいだろ」

そのときアスカの口の端が微かに持ち上がったのを、僕は……確かに見た。


バシュッ


「!!」

空を切り裂くような破裂音を伴って、アスカの右足が僕の顔面を掠める。
ま、回し蹴り……

「な、何すんだよっ。危ないじゃないか!!」

「危なくなんかないわよ。当たらないようにしてるもの」

「そういう問題じゃないじゃないだろっ」

「空手、黒帯。文句ある? さ、行くわよ」

黒帯って……
これ以上の反論は自分の身を危うくすることを悟った僕は、アスカの鞄を持ったままアスカの後を歩き出した。

やっぱり怒ってるってことだよね。
それも、半端ないくらい怒ってるってことだよね……

外へ出た僕らは、足早に学校へ向かう。
先ほどのことがまるで無かったことのように、アスカは澄ました顔で僕の少し前を歩いていた。

斜め後ろから見るアスカは、やはりとても美しい。
透き通るほどの肌の白さも、風にサラサラとそよぐ金髪も、吸い込まれそうな青い瞳も、僕が覚えているアスカに間違いない。
それどころか、その美しさと可愛らしさは増していて、本当であれば、自慢の幼馴染になるはずであった。

でも、中身は僕の知っているアスカじゃない。
いつも公園で泣かされて、いつも僕の後ろに隠れて、いつも僕にくっついていたアスカじゃない。
僕の記憶の中のアスカは絶対に鞄なんか投げたりしないし、まして回し蹴りなんて、絶対にしない。

僕に会いたかったと言って抱きついてきた昨夜のアスカと、今目の前にいる横暴なアスカを見比べて、僕の思考回路はパンク寸前だ。

「あ、あのさ」

「何よ」

ギロッと振り向いたアスカに、一瞬足が止まる。

「ア……アスカって、なんだか小さな頃と雰囲気変わったよね?」

「昔のことは、覚えてないんじゃなかったの?」

アスカは実に棘のある言い方で、返事をした。

「そんなことないよ……その、約束は覚えてなかったけど、アスカのことはちゃんと覚えてたよ」

アスカはチラッと横目で僕を見ると、

「どうだか」

そう言って少しだけ足を速める。
僕は慌てて追いかけると、アスカに食い下がった。

「本当だよ。アスカのことちゃんと覚えてたよ」

パタッと足を止めたアスカは、クルッと僕を振り返った。
やっぱり腰に両手を当てて。
これがアスカのお決まりのポーズなんだろうか。

「どんな風に?」

「えっと……小さい頃のアスカは、とっても泣き虫でいつも泣いてたこととか。それから、いつも僕の後を追っかけてたこととか……」

「それだけ?」

「あ、あと……えっと、いつもポニーテールしてたよね。フルフル揺れてさ。小さい頃はとってもかわいかったよね」

「小さい頃は?」

アスカの眉がピクッと動いた。

「い、いや、そうじゃなくて……その、小さな頃だけじゃなくて、あの頃からとってもかわいかったってことを言いたかったわけで……」

「ふ〜ん。それで、アタシが変わったっていうのはどういうこと?」

「えっと、それは、その……ほら、なんだか逞しくなったっていうか……」

「乱暴になったって言いたいの?」

「いや、そうじゃなくて……ほら、小さい頃のアスカって、よく泣かされてただろ? だから、強くなったなぁと思って。空手のことだけを言ってるんじゃないよ。なんかしっかりしたというか、積極的になったというか」

「まあ、褒め言葉ってことにしておくわ」

「それにしても、空手が黒帯だなんてすごいよね」

僕の言葉に、アスカは肩を竦める。

「自分が強くならなくちゃ、誰も守ってくれないもの」

「ふ〜ん。そういうもんなのかなぁ」

そんな間抜けな返事をした僕に、アスカは大きくため息をつくと、

「アンタはやっぱり何もわかってない」

そう呟いてまた歩き出した。



「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしくお願いします」

教壇でアスカが挨拶をすると、クラスのみんながいっせいに声を上げた。
もちろんそれは感嘆や歓迎の声で、特に教室中の男子は色めき立った。
それも当然だ。
アスカは誰が見ても、美しい女の子なのだから。「とても」が付くほどに。

今、教壇に立っているアスカは、やっぱり僕の自慢の幼馴染みの姿だ。
そして昨夜、アスカの部屋で見たアスカは、とても可愛らしい女の子で。
今朝見たアスカは、そのどちらでもなかった。
どのアスカが本当のアスカなのか?

ボーっとしていた僕は、アスカが自己紹介を終えて歩き出したことに気づかなかった。
みんなの視線が、アスカと一緒に移動する。
その視線を引き連れたまま、ガタンと音を立ててアスカが席に着いた。
そして席に着く瞬間、あろうことかアスカは斜め後ろの席にいる僕を見て、ニコッと微笑んだりして。
そう、あの天使のような飛び切り可愛い笑顔で。
当然みんなの視線は一斉に僕に向けられるわけで。
それはもちろん好意の視線ではなく、興味や嫉妬や疑問に満ちていて。
僕には意味がわからない。
何がどうなってるんだ?

僕の中学校生活にアスカが加わった、第一日目。
教室は一日中ざわついていた。
もちろんその原因は、惣流・アスカ・ラングレーという転入生にあるのだけれども。
半日足らずで、あっと言う間にアスカはクラスの人気者になっていた。
みんながアスカと話しをしたがったし、みんながアスカのことを聞きたがった。

ドイツではどんな家に住んでいたの?
学校はどんな雰囲気だった?
ボーイフレンドはいたの?
好きな食べ物は?

仕方ないことだけど、僕もみんなの質問攻めに遭った。
そしてほとんどの質問について僕は満足な回答ができず、それが僕をひどく落ち込ませた。
でも、答えられなくて当然なのだ。
僕はアスカのことを何にも知らないのだから。
それでも、アスカの唯一の知人である僕への質問が止むことはない。


碇くんと惣流さんて、どんな関係なの?


幼馴染という一言で片付けるのは、ちょっと違う気がする。
別に仲良いってわけじゃないし。
かといって、いちいち子供の頃の話をするのは面倒だし。
僕はこれ以上追及される心配のない、当たり障りの無い言葉で返答した。

「お隣さん」

その答えは、斜め前に座っていたアスカの耳にも入ったみたいで。
アスカが少しだけ振り返って僕を見ている。
なぜだかわからないんだけど、僕の気のせいかも知れないんだけど、アスカの青い瞳が小さく震えていた。




...続く




あとがき

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
やっぱりアスカは強かった。でもアスカはこうでなくっちゃね。
相変わらずシンジは何にもわかってない鈍感男になっておりますが、
やっぱりシンジはこうでなくっちゃね(?)www

次回もぜひお読みくださいね。





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