約束の時間だ。
僕はわざと数分遅らせて、隣の家のチャイムを鳴らした。

「は〜い」

明るい返事とともに、パタパタと廊下を蹴るスリッパの音が聞こえてくる。


カチャッ


開いたドアからスラッとした白い手足が覗いて見えた。

「いらっしゃい。待ってたのよ。さあ、どうぞ」

「あ……ど、どうも」

こんなしどろもどろな返答になってしまったのには訳がある。
だって、アスカのその格好……
バニラ色のTシャツに、思いっきり丈の短い短パンで。
風呂上りなのか?
それにしたって、そんな薄着で。
男を部屋に呼ぶっていうのに、いくらなんでもリラックスし過ぎだろう。
いや、それ以前に僕はそういう対象ではないということか……

「こっちよ」

そんなことは露知らず、アスカはそ知らぬ顔で僕を部屋に案内した。
ドアには、カリグラフィで『Asuka』とかわいらしく描かれたプレートがかかっている。
女の子の部屋なんてめったに訪れることのない僕は、それだけで大いに想像をかきたてられた。
このドアの向こうには、どんな素晴らしい空間が待っているのか?
僕の緊張にはお構いなしで、アスカは勢いよくその扉を開けた。

そこには想像した通り、いやそれ以上のワクワクする光景が広がっていた。
一歩足を踏み入れるだけで、自分の部屋との空気の違いに戸惑う。
何だろう、この感じ。なんていうか……すごくいい香りがする。
それに加えて、色とりどりのカーテンや家具に驚く。
黒や茶ばかりの自分の部屋とは違う、まさに女の子の部屋だった。
まだ開封されていない段ボールが部屋の隅にいくつか積み上げられているが、そんなことが少しも気にならないくらい、その雰囲気に呑まれて。


カチャッ


僕がボーっとしている間に、背中でドアの閉まる音がした。
反射的に振り向いた僕に、アスカがつぶやく。

「シンジくん」

「ん?」

「やっと会えたのね。うれしいっ!!」

「え……えっ、え……!?」

突然抱きついてきたアスカに体勢を崩した僕は、しがみついているアスカと共に、後ろへ倒れこんだ。
つまり、僕は押し倒されたみたいな体勢になってて、僕の上にはアスカの身体が乗っかっているわけで……

な、何なんだ一体!?
……む、胸が……胸が当たってるんですけど。
いや、当たってるどころじゃない。
僕の身体の上でつぶれてるというか、ゆがんでるというか、柔らかいというか。
なんとも幸運な(?)出来事に僕はアタフタしながらも、アスカの腕をつかんで引き剥がしにかかった。

「ちょ、ちょっとアスカ、どいてよ」

掴んだその腕の細さに驚いて、思わずその手を緩める。

「いやっ!! ずっと会いたかったんだもの。離れないっ」

僕のその行動に反発するように、アスカは益々僕に強くしがみ付いた。
一瞬とはいえ、掴んだ腕のそのスベスベした肌の感触はしっかりと手に残っていて。
あぁ、なんかいい匂いするし、なんか可愛いこと言ってるし……
もう、どうすりゃいいんだよ?
ちょっと本当ヤバイんですけど。いろいろと。
困り果てた僕は、何とか説得にかかった。

「でもこれじゃ、話ができないよ」

「いやっ」

「お願いだよ」

きっと僕は本当に困った声を出していたに違いない。
アスカは顔を上げて僕の顔を覗き込むと、実に残念そうに、でも素直に身体を起こした。
僕も急いで起き上がると、彼女の正面に座る。

「あ、あのさ……その、久しぶりだね。10年ぶりかな?」

なんとか軌道修正しようとしている僕を無視して、アスカはただただ僕を見つめている。

「えっと、学校の話が聞きたかったんだよね。何から話せば……」

「アタシ……」

「えっ?」

「アタシ、ずっとシンジくんに会いたかった」

思いがけない告白に、僕は戸惑った。
こんな可愛い娘に会いたかったなんて言われて、悪い気がするわけない。
でも、僕の思いは複雑だ。
この10年、アスカのことを思い出しもしなかった自分に、なぜだか腹が立った。
そして僕とアスカの温度差が不思議でならない。
おぼろげな思い出だけで、抱きつくほど会いたかったとは思えないんだけど。

「あ、ありがと。僕のことを覚えていてくれてたなんて、うれしいよ」

どうやって答えることが正解なのか?
僕は無難な返答で切り抜けようと考えた。

「だって約束したじゃない。アタシがシンジくんのこと、忘れるわけないわ」

そう言って、アスカが微笑む。

「約束って?」

「アタシがドイツへ出発する日、指きりしたじゃない。大切な約束。……まさか、忘れたの?」

痛っ。
なんか今、アスカのすごい視線に射抜かれたような気がするんですけど。
さっきまでの天使のような笑顔からは想像できないくらいの冷たい視線……
き、気のせいかな?
僕の思い過ごしだよね、きっと?

確かに覚えている。
アスカと二人で大泣きしながら指きりしたところまでは覚えている。
マンションのエントランスで最後のお別れをしながら、僕が何かをアスカに言ったんだ。
そこまでは覚えているのに。
なのに、約束の中身がどうしても思い出せない。
ここは素直に謝るべきか。
それとも、シラを切り通すべきなのか。

僕は前者を選択した。
約束の内容を覚えていないなら、教えてもらえばいい。
もしそれが今からでも遂行できる内容のものであるならば、
明日にでも、それを実行に移せばいいのではなないかと考えたからだ。

「ごめん。指切りをしたのは覚えてるんだけど、その内容がどうしても思い出せないんだ。もし良かったら、その約束の内容を教えてもらえないかな? 今からでもできることなら、僕、ちゃんと守るからさ」

「…………」

あれ? 怒った?
アスカは俯いたまま、返事をしない。
やっぱまずかったかなぁ。
一体僕はどんな約束をしたって言うんだ!?

「本当にごめん。でもまさか、10年も経つのに覚えていてくれてるとは思わなくて」

「10年も前の話だったら、忘れてもいいって言うの?」

「別にそういうわけじゃないけど……本当にごめん」

アスカがゆっくりと顔を上げる。
その顔には、さっき見た笑顔なんかどこにもなくて。

「わかったわ。悪いけど、今日は帰ってもらえる?」

「あ、うん。でも学校のこととか大丈夫?」

「今日は帰ってほしいの」

「う、うん。本当にごめんね」

僕はなんだかものすごく悪いことをしたような、そんな罪の意識を感じながらアスカの部屋を後にした。
どんな約束が僕たちの間に交わされていたのかわからないけど、そんなに怒るようなことなんだろうか?
10年前の僕は、アスカに何を言ったんだろう?
ずっと僕に会いたいと思っていてくれたアスカの気持ちを傷つけてしまったような気がして、単純に申し訳ないと思う。
せめてもの罪滅ぼしじゃないけど、明日からは、できるだけ優しくしてあげようかななんて、僕は呑気なことを考えていた。

こんな風に始まった僕らの再会に、暗雲が立ち込めているとも知らないで。



...続く




あとがき

最後まで読んでくださってありがとうございました。
シンちゃんにいい思いをさせてあげたいと言いながら、なんだか不穏な空気が。
あぁ、ごめんね。シンちゃん。
シンジを相手にすると、私のSっ気が全開になってしまい、どうも苛めたくなって……www

シンジを応援しつつ、また次回も読んでもらえるとうれしいです。





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