どのくらいこうしていたのだろうか。
気付けば公園には子供たちの姿はなく、アタシひとりがポツンと取り残されていた。
確かシンジの家に来たとき太陽はまだ頭の上にあったのに、今は眩しいほどの夕焼けであたり一面真っ赤に染まっている。
脅迫めいたアタシの願い事を聞いてくれる殊勝な神様なんて、いるわけないわよね。
そうよ。神様なんているわけない。だって神様がいるのなら、アタシにばかりこんな辛い思いをさせるわけないもの。
ママが死んだ時だって神様は助けてくれなかった。加持さんが死んだときだって、ミサトが死んだときだって、神様は何もしてくれなかった。
それどころかアタシやシンジを追い詰めてアタシたちをボロボロにした。
こんなアタシにそれでも神様を信じろって言うのなら、それを証明してみなさいよっ。アタシの前にシンジを連れてきなさいよっ。神様だったらそのくらいのことできるでしょ? そのくらいのこと、してみなさいよ!!
「バカシンジ〜〜〜!!!」
顔を出したばかりの薄白い月に向かって、アタシは叫んだ。
神様ってきっと空の上にいるはずだから。
そうして暗くなってきた空を睨みつけたアタシの耳に、聞き慣れた声が聞こえる。
「ちょっとアスカ、近所迷惑だよ」
困惑したシンジの声。そうよね。シンジならきっとそう言う。
「アスカ、待っててくれたの? 遅くなっちゃって、ごめんね」
そして次にこう言うのだ。
「アスカ、ただいま」
だからアタシは決まって、
「シンジ、遅いわよ」
ってあれっ? やけに声が近くない? 空耳にしてはずいぶんはっきりと……
「アスカ、ただいま」
もう一度? あれ? あれぇっ?
ゆっくりと振り向いたアタシの視線の先にいたのは、それは紛れもなくシンジその人だった。
「シンジ」
でもアタシはすぐには理解できなくて、シンジの顔を穴が開くほど見つめて。
固まっているアタシに向かって、シンジはこう言った。
「アスカ、おいで」
公園の入口に立っているシンジは、今日もまたやれやれといった表情で微笑んだ。
優しい声で、優しい眼差しで。そこにいたのは、間違いなくアタシのシンジだった。
シンジの声に引き寄せられるようにアタシは立ち上がる。一歩距離が縮まる度にシンジの顔が段々とはっきりと見えた。
一週間ぶりに見たその人は、相変わらず優しい微笑を浮かべて両手にいっぱいの買い物袋をぶら下げて?
あと一歩でシンジに手が届きそうなその距離で、アタシは立ち止まった。
「アンタ、どこ行ってたのよ?」
「スーパーだよ。夕飯の買い物しに」
そうじゃなくて!!
「そうじゃなくて、今までどこ行ってたのかって聞いてるの」
「えっ? 科学技術研究所だけど?」
何でそんなこと聞くの?
声にこそ出してはいないが、シンジの顔は明らかにそう言っていた。
「科学技術研究所? アンタ、そんなところに何しに行ってたのよ?」
「何って定期健診じゃないか。年に一度の。来月はアスカの番でしょ? 忘れてたの?」
正式名称は国際科学技術研究所。ネルフの研究内容を引き継いだ、国連直属の研究機関だ。
サードインパクトの後、公にされたネルフの研究内容に世界中が慄いた。全ての研究内容の破棄とネルフの解体が検討されるくらい大騒ぎになって。
でも結局、その高度な技術と研究内容は無駄にはできず、世界中の国々が自由に関わることができるオープンな研究機関として生まれ変わったのだ。
現在では戦いのためのエヴァではなく、人類の源としてのエヴァの研究が中心となっていて、その使用目的は平和的なものに限られている。
そんなところでなぜアタシたちが健康診断を受けなければならないかというと、それはもちろんアタシたちがエヴァのパイロットだったから。
当時のアタシたちが受けたダメージは、肉体的にも精神的にも計り知れないものであり、これから先どのような形で後遺症が現れるか誰にもわからないというのが理由。
だから年に一回、必ず国際科学技術研究所の日本支部で健康診断を受けなければならないのだ。
それは、肉体面、精神面の両面から行われ、全ての検査と経過観察に数日、結果が出るまでにさらに数日かかるため、いつも一週間程度拘束されるのである。
そういえば先々週の土曜日に、シンジ、そんなこと言っていたような。
アタシ、テレビドラマに夢中だったから聞き流しちゃってたのかな。
それにあのときは彼にふられたり、シンジのこと押し倒しちゃったり、なんだかいろいろあったから、だからそんなことすっかり忘れてた。そんなこと思いもしなかった。
神様。さっきは悪口言ってごめんね。全部悪いのはアタシでした。シンジはいなくなってなんかいませんでいた。
「さ、早く部屋に入って、ご飯作ろう」
シンジはそう言ってニコッと笑った。
でもその場から動かないアタシを見て、シンジは首をかしげる。
「アスカ、どうしたの? 早く、行こうよ」
ダメ。アタシ、行けない。だってまだ肝心なこと聞いてないもの。大切なこと聞いていないもの。
「岡田さん、来るんじゃないの?」
「アスカ、どうしてそれ……」
シンジはひどく驚いた顔で、アタシを見つめた。
アタシが岡田さんを知っていることが、そんなに不思議? シンジが必死に隠してたこと、アタシが知ってるのがそんなに不思議?
「なんでアタシに黙ってたのよ。岡田さんのことなんで隠してたのよ?」
「それは」
「一週間ぶりに帰ってきたんだから会いたいんじゃないの、岡田さんに?」
口ごもるシンジに向かって、アタシは嫌味たっぷりに言った。
こんな言い方したくないのに。こんなこと言いたくてここに来たわけじゃないのに。シンジを苦しめたいわけじゃないのに。
俯いたシンジが、ポソッとつぶやいた。
「もう、別れたから」
「えっ?」
「火曜日に、別れたんだ」
火曜日って、先週の? 岡田さんと教室を出て行って戻ってこなかった、あの日?
「うそっ。岡田さん、そんなこと言ってなかったもの」
「うそじゃないよ。本当に別れたんだ」
「どうして?」
「どうしてって」
言葉に詰まったシンジを見ていると、苦しくなる。
やっぱりアタシには言えないの? 言いたくないの?
アタシの不安をよそに、シンジは突然顔を上げていつものようにニコッと微笑み、
「まあ、いいじゃないか。とりあえず、中に入ろう」
それだけ言うと、スタスタと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
呼び止めるアタシの声に振り返りもせず、シンジはマンションの入口へと吸い込まれて行く。
何よ。何なのよ。あんな笑顔したって騙されないんだから。ごまかされないんだからね。
アタシは慌てて後を追いかけた。
部屋に入ると、その足でシンジはまっすぐキッチンへ向かう。
買ってきた食材がテキパキと冷蔵庫に片付けられると、空っぽだった冷蔵庫は急に賑やかになった。
何年も続けてきた主夫業がすっかり板についていて、そんなところも全部含めてシンジらしい。
アタシは小さくクスッと笑った。
「アスカ、今日は何食べたい? ロールキャベツでいいかな?」
「うん」
当たり前にそんなことを言うシンジにつられて、アタシは思わず頷いてしまった。
まだ大切な話し、何もしてないのに。
一週間ぶりのシンジの部屋は相変わらずスッキリと片付いていて、アタシはいつもの習慣でベッドの脇に腰を下ろした。
いつもはベッドに寄り掛かってごはんができるまでテレビを見るんだけど、だけど今はそんな気分じゃない。
何でシンジはアタシにちゃんと話してくれないんだろう。
何でアタシの質問に答えてくれないんだろう。
アタシには話す価値もないってことなの?
シンジに目を向けると、シンジはまるで何事もなかったようにキッチンで料理に勤しんでいる。
鍋で湯を沸かして、包丁をリズミカルに鳴らして。
アタシから見えるのは、シンジの大きな背中だけ。
知らない間に大きくなっていた背中。手が届きそうで届かないその背中。
アタシは座ったまま、その背中に向かって恐る恐る手を伸ばした。
この場所から手を伸ばしても届くはずないんだけど、そんなことわかってるんだけど。
でも。
触れたい。
今、どんな顔してるの? 何を考えてるの? アタシに、聞かせて欲しい。
アタシは伸ばした手を胸元まで引き寄せると、静かにギュッと握りしめた。
このままあやふやなままにしておくなんてできない。このままで良いわけない。はっきりさせなくちゃいけない。でないとシンジの背中は一生遠いままになってしまうから。
アタシ、頑張れ。
心の中でつぶやくと、アタシはシンジに向かって歩き出した。
...続く
あとがき
シンジ、おかえりなさ〜い。
やっとLASっぽくなってきましたね。
でもなんだか二人の気持ちがかみ合っていない様子。
アスカの思いは、シンジに届くのでしょうか。
第8話をお楽しみに。