岡田さんが振り向いた。アタシにはない綺麗な黒髪をなびかせて。
近くで見るととっても、その何て言うか、まあまあ可愛い。

大きな黒い瞳と長い睫毛。そしてアタシにはない、落ち着いた雰囲気。

これがシンジの選んだ人。

「あの、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「あぁ、あなた惣流さんね」

そう言った岡田さんは、アタシの頭から足元へまで素早く視線を移動させた。

ムッ。なんか人を値踏みするような視線。感じ悪い。

「何か用?」

「最近シンジを見かけないからどうしてるかと思って。岡田さん、知ってたら教えて欲しいんだけど」

アタシは最大限に丁寧に質問した。それなのに。

「はぁ? 何で私がそんなことを惣流さんに教えてあげなくちゃいけないわけ?」

こ、これが大人しそうな女の子? 前言撤回っ!!

「最近シンジと連絡とれなくて心配してるの。シンジと付き合ってるあなたなら何か知っているでしょう?」

「ふ〜ん。それで私に教えてもらいたいのね」

何なの、この女? なんでこんなに偉そうなの? ムカつく!

「どうしようかなぁ」

そう言いながらアタシから視線を外した岡田さんは、再びキッとアタシのことを睨み付けてこう言い放った。

「私、あなたのこと嫌いなのよね」

「えっ?」

な、何言って……

「だ〜か〜ら〜、私、あなたのこと嫌いなの」

こ、こいつ。
すごく我慢してたけど、シンジのことを教えてもらうためにすごく我慢してたけど、でももう、無理。

アタシは思わず声を荒げた。

「ちょっと、何で初対面のアンタにそんなこと言われなくちゃなんないのよ?」

「それはこっちの台詞よ。それが人に物を頼む態度?」

アタシの口撃にも少しも怯まない。この女、なかなかやるわね。

アタシは必死に怒りを噛み殺す。いくらムカついても、シンジの彼女に手を出すわけにはいかない。こんな女を選ぶなんて、シンジは本当に馬鹿なんだから。

「はんっ。アンタ、ばかぁ? アタシは物を頼む頼まない以前の話をしてるの。そんなこともわからないの?」

「なぁに? シンジに捨てられたからって、私に当たるのやめてくれる?」

このアタシにも怯まない気の強さ。これじゃあ、まるで……

「ぐっ。捨てられたですってぇぇぇっ!! アタシとシンジはそんな安っぽい関係じゃないんだからっ。もっともっと深い絆で繋がってるんだからっ」

「深い絆? 笑わせないでよ? シンジが見つからなくてオロオロしてるくせに」

まるでこの女……

「くぅぅっ。アンタにいくら話したってわかりっこないんだからっ。アンタに聞いたアタシが馬鹿だったわ」

「じゃあ自分で捜すのね。せいぜい頑張って」

「ふんっ!」

これじゃあ、まるで。

アタシは踵を返すと、教室を飛び出した。
アタシの頭の中にあったのはただひとつ。

まるで、昔のアタシみたい。

アタシは芝生の上をズカズカと歩いた。
今日の授業は全部パス。
それで今から、アタシは……アタシはシンジに会いに行く。

教室を出たその足で、アタシはシンジの家を目指した。
大学の表門を出て、駅まで続く緩やかな下り坂を駆け下りる。
アタシの頭の中の岡田さんを振り切るように。

何であんな女がシンジの彼女なのよ。シンジは何であんな女を選んだのよ。本当にバカなんだから。

シンジが選ぶのは、きっとアタシと正反対のタイプだと思ってたのに。
大人しくて素直で優しくて、そんな家庭的な女の子を選ぶと思ってたのに。

なのにシンジが選んだのは、生意気で気が強くて高飛車で、可愛いのは見かけだけ。
まるでアタシみたいな女。昔のアタシみたいな。
だけどアタシみたいだけど、アタシじゃない。


何でアタシじゃないんだろう。


ち、違うのよ。
別にシンジにアタシを選んで欲しいとか、そんなんじゃないんだから。ただ、アタシを選ばなかったシンジが、何でアタシみたいな女の子を選んだのかなって。
何でアタシはダメで、アタシみたいな娘はいいのかな。
って、だから、そうじゃなくて。
アタシはシンジの考え方の矛盾を……

うぅん、そうじゃない。そうじゃないの。本当はアタシはやっぱり。


アタシを選んで欲しかった。


アタシがアタシの気持ちに気づいたとき、また胸の奥がキュゥッとなった。今までとは比べ物にならないくらい。今まででいちばん苦しい。

「シンジぃ」

アタシは小さく呟いた。

岡田さんは学校にいるから、シンジの家で鉢合わせすることは絶対ないから、だから今行かなきゃ。
今シンジに会いに行かきゃ。でないとたぶんアタシはもうシンジの家には行けないから。岡田さんと一緒にいるシンジなんて見たくないから。

シンジに会うのが恐い。シンジの本心を聞くのが恐い。彼女のためにもう会わないって言われたら、アタシなんかいらないって言われたら、アタシの心臓はきっと苦しくてつぶれてしまうかもしれない。
だからシンジに会うのが恐い。

恐くて恐くて堪らないけど、でもそんな思いをしても、それでもアタシはシンジに会いたい。

シンジの顔が見たい。シンジの声が聴きたい。シンジにアスカって呼んでほしい。

そうして、前みたいに一緒にご飯食べて、一緒にテレビ見て、一緒に遊んで、たまにはケンカして、一緒に笑って、いっぱい話をして。

そして、アタシにいっぱい触れて欲しい。

大きくて温かい手のひらで、いっぱい頭を撫でて欲しい。全部アスカのものだよって、アスカはひとりじゃないよって。


アタシ、気づくのが遅すぎたのかな。あんなに一緒にいたくせに。何年も一緒にいたくせに。
こんな簡単なこと、何で今まで気づかなかったんだろう。アタシの欲しいものは、こんな近くにあったのに。
いちばんバカなのは、アタシだ。


頭ではわかってるんだけど、今更どうしようもないってわかってるんだけど、それでもそうせずにはいられなくて、アタシはシンジのマンションの前に立っていた。

アタシの家から歩いて10分。本当に近いんだけど、だけど今はこんなにも遠い。
距離も気持ちも、シンジと離れちゃった。すごく、遠くなっちゃった。

3階建ての小さなマンション。レンガ造りのとても落ち着いた雰囲気で、シンジはそれをとても気に入っていた。
2階の廊下の突き当たり、201号室がシンジの部屋。
アタシはドアの前に立った。


ピンポーン ピンポーン


…………

返事がない。それどころかドアの向こうに人の気配すらない。
どこ、行っちゃったの?

アタシは急いでマンションの入り口へ戻ると「 碇 」の表札を探す。
マンションの入り口に備え付けられた郵便受け。
アタシが見つけたシンジの部屋の郵便受けは、引き取り手がない郵便物でいっぱいになっていた。

それが意味すること。つまりそれは、シンジが長い間家を空けてるってこと。
マンションにもずっと帰ってないってこと。シンジが本当に、消えちゃったってこと?

「頭が真っ白になる」って言葉、こういうときのためにあるのね。
頭に何も浮かんで来ない。
考えなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに、驚いたとか哀しいとか寂しいとか全部通り越して、アタシの中が空っぽになってる。

フラフラと歩き出したアタシは、マンションの向かいにある小さな公園のベンチに、パタンと腰を下ろした。

シンジの家に入り浸っていた頃、シンジが留守にしているときはこのベンチでシンジの帰りを待った。
アタシがシンジより先に学校から帰ってきちゃったときとか、シンジが買い物に行って入れ違いになっちゃったときとか。

「アスカ、お待たせ」

そう言って、シンジはいつだって快くアタシを迎え入れてくれた。
シンジとケンカしてシンジの家に行くのを躊躇ってるときも、アタシはいつもこのベンチに座ってシンジの部屋を見上げてた。
どうやって仲直りしようか頭を悩ませていると、いつの間にか公園の入口にシンジが立っていて。

「アスカ、おいで」

シンジはいつも優しくて、やれやれといった表情をしながらアタシを見て微笑む。
そしてそんなシンジを見たアタシは、

「シンジがそう言うなら、仕方ないわね」

そう言って、重い腰を上げるのだ。

いつだってアタシのそばにはシンジがいて、シンジのいる生活が当たり前にあって。
ずっと友達だったし、ずっと家族だったから、こんなにも大切な人だったなんて気づかなかった。
シンジがアタシの前からいなくなることが、シンジが誰かのものになっちゃうってことが、こんなにも辛いとは思わなかった。

アタシの生活のほとんどにシンジがいて、それどころかアタシの人生のほとんどにシンジがいて、アタシのほとんどはきっとシンジで出来てる。
その証拠に、シンジを失ったアタシはこんなにも苦しい。

だからお願いです。もしもこの世に神様がいるのなら、シンジをアタシに返してください。

ママをアタシから取り上げたこと、ミサトや加持さんを助けてくれなかったこと、アタシやシンジを苦しめたこと、そういう今までのこと、全部なかったことにしてあげますから。

だからお願いです。
シンジだけは返して。



...続く




あとがき

アスカが珍しく弱気になってしまいましたねぇ。
恋する乙女は、案外もろいものなのです。
でも、いい加減にアスカが可愛そうになってきました。
どうしたらアスカさんは幸せになれるでしょうか。
第7話、急いで書きますよぉっ!




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