カーテンの隙間から差し込む月明かりが、シンジを照らす。
アタシはボーッとした頭でシンジの横顔を眺めていた。
何年も一緒にいたはずなのに、こんなにじっくり眺めるのは初めてかも。

女の子のようなかわいい顔で笑うヤツで、いつもアタシの言いなりで、傷つくことを極端に恐れて、いつもビクビクして、喧嘩とか全然弱くて、平和主義者で。
得意なのは、料理に洗濯に掃除。頼まれると嫌と言えない性格で。
それなのに……

それなのに、いつのまにか男らしくなっちゃって。

そうやって少しずつアタシの知ってるシンジじゃなくなっちゃうのかな?
男の子じゃなくて男の人になっちゃって、男らしくなったシンジは逞しくなったその腕で、アタシの知らない誰かを守るようになるのかな?
その人を守るためにアタシから離れて行っちゃうのかな?




アタシはまた……ひとりになっちゃうのかな?




言いようの無い不安がアタシを襲う。
子供の頃は当たり前だった『 ひとり 』が、今はこんなにも恐い。

「シンジ、手、貸して?」

「手?」

「うん。貸して?」

怪訝な顔をしながらもシンジは右手を差し出す。
アタシはパタッとシンジの方に転がると、自分の右手をシンジの手の平にそっと重ねた。

「……アスカ?」

「ちょっとだけ。ね」

「うん……」

アタシは指先でシンジの手の平を数回なぞる。
そうして手の平の感触を楽しんだ後、大きく開いてその手を重ねた。
細かった指先もなんだかゴツゴツして、アタシの手じゃ包みきれないくらい大きくなって。
昔のシンジとは違うんだということを思い知らされた。

なんだかちょっとショック。アタシたちはずっと変わらないと思ってたのに。
アタシたちの『 当たり前 』が、ずっと続くと思ってたのに。
変わらないと思ってたのはアタシだけ?
シンジは変わったのかな?

シンジにもそのうち彼女ができて。
そしたらアタシが邪魔になったりするのかな?
コイツのことだから、きっと彼女をものすごく大切にするはず。
その大切な彼女を守るためにアタシからどんどん離れて。
彼女しか見えなくなって。
それで、それで……

アタシのことなんか忘れちゃうんだ。きっと。

「どうしたの、アスカ?」

アタシの顔を覗き込むシンジの声に、ハッと我にかえった。

「苦しいの? 気持ち悪いの? 大丈夫?」

そのときアタシは初めて涙を流していたことに気が付いた。
シンジの顔がぼやけて見える。
心配そうな顔をしているはずのシンジの顔が涙で見えなくて、それがまた悲しくてもっともっと涙が溢れた。

「アスカ、大丈夫?」

「うん、うん」という気持ちで、アタシはコクコクと頷いた。
でも涙は止まらなくて、それどころかどんどん増えて。
啜り泣きが嗚咽に変わったのは、それからすぐのことだった。

アタシは枕に顔を伏せて声を出して泣いた。
こんなに泣いたのはいつ以来だろう。
自分では止められない涙と体の震え。
全身で悲しいって訴えるような泣き方。

アタシ、そんなに泣きたかったのかな。
アタシ、そんなに悲しかったのかな。

突然のことにオロオロしていたシンジも、気づいたときにはアタシの頭をずっと撫でてくれていた。

アタシの頭を撫でてくれるその大きな手は、これ以上ないくらい温かくて気持ち良くて、そして何より幸福を感じさせてくれた。

でもアタシのものじゃないんだ。
知らない誰かのものになっちゃうんだから。

いいの? この温もりを失ってもいいの? この手を放してもいいの?




またひとりになってもいいの?




いや。ひとりになるなんて、いや。
恐いの。昔のアタシに戻っちゃいそうで、恐いの。
だからシンジはアタシの傍にいなくちゃいけないの。
アタシのご飯作って、アタシと一緒に遊んで、アタシとたまにはケンカして、アタシといっぱい笑って、アタシの話をたくさん聞いて。

アタシをひとりにしないで。置いて行かなで。
ひとりはイヤ。ひとりは嫌なの。

アタシの知らない誰かのものにならないで。
アタシの知らないところに行かないで。


シンジのくせに、アタシから離れて行かないで。


心臓を手で鷲掴みにされるような、そんな苦しさがアタシを襲う。
苦しくて。苦しくて。

ふと、ママの顔が頭に浮かんだ。
綺麗で、優しくて、温かくて。
アタシの自慢のママだった。
そのママが、ある日突然アタシのママじゃなくなった。
アタシと話をしてくれなくなって。
アタシを見てくれなくなった。
アタシを知らない子だと言って、アタシより人形を大切にした。
そして、最後までアタシに気づいてくれないまま、アタシを置いて死んじゃった。

あんな思いは二度としたくない。
寂しくて、悲しくて、苦しくて。
アタシはもう一生分苦しんだ。
だからひとりにはなりたくないの。
置いていかれたくないの。

この苦しみから逃れるためだったら、何でもする。
もうこの苦しみに襲われなくて済むんだったら、何でもする。
アタシにできることだったら、何でもするから。
だから、アタシをひとりにしないで。
何をしたら、そばにいてくれる?
ねぇ、どうしたらいい?
どうしたら、そばにいてくれる?

アタシは涙でグシャグシャになった顔を上げて、シンジに向かって呟いた。

「シンジ」

「ん?」

「……抱いて?」

「アスカ、何言って……」

「抱いて」

アタシはもう一度強く言った。
アタシには他に何もないから。他には、何もないから。
シンジをアタシのそばに置いておくために、何をすればいいのかわからなかったから。
こうすれば、シンジはきっとアタシの傍にいてくれる。

ねぇ、そうでしょう?

シンジの存在はあまりにも近くてずっと家族だったから、アタシたちは家族だったから、だから好きかどうかなんてわからない。
少なくともアタシに恋愛感情はないけど、それでもシンジを手放したくなくて、ひとりになりたくなくて、アタシはそんなことを言った。

「アスカ、酔っ払いすぎだよ」

シンジはハハハと笑った。
まるで相手にしていないという風に。
それがアタシの勘に障った。
アタシはこんなに苦しんでるのに。アタシはこんなに怯えてるのに。ひとりがこんなに恐いのに。アンタにはわからないの? 全然、わからないの?

うぅん、アンタ、アタシから逃げてるのね?
また、アタシから逃げようとしてるんでしょう?
真っ直ぐ見て。アタシを見て。ここにいるアタシを見て。

アタシはガバッと身体を起こしシンジの腕をグイッと引くと、バランスを崩したシンジの唇に勢いよく自分の唇を重ねた。

「!!」

驚いたシンジが慌ててアタシの身体を押し返す。

「っはぁ。アスカ、何してるんだよ!」

「何って、キスじゃない」

「だから、なんでそんなことするんだよっ」

「抱いてって言ったのに、本気にしてくれないから」

「当たり前だろっ。何で急にそんなこと言い出すんだよ」

「なんでって」

「いくら酔っ払ってるからって、やって良いことと悪いことがあるよっ」

「酔ってるけど、でも本気よ」

それでも尚もわからないといった顔をするシンジに業を煮やしたアタシは、ベッドから転がり落ちるようにしながらシンジをその場に押し倒した。

「あっ、アス……」

最後の言葉を聞く前にアタシはシンジの唇を塞ぐ。
唇を押し付けるように、シンジがアタシから逃げられないように。

でもシンジは逞しくなったその腕でアタシを簡単に押しのけ、そして見たことも無いようなすごく恐い顔で言った。

「アスカ、いい加減にしてよっ!! なんでこんなことするのさっ」

「シンジは、アタシとしたくないの?」

あまりにも必死に抵抗するシンジにイラついたアタシは、シンジの肩を両手で床に張り付けるように押さえながらシンジを見据える。

なんで? なんでそんなに嫌がるの? そんなにアタシのことが嫌いなの? だからそんなに怒るの?
やっぱりアタシを置いてくの? アタシはひとりにならなくちゃいけないの?

「アタシのことが嫌いなの?」

「僕は他の男の代わりにはなれない」

「違っ……」

「アスカは彼と別れて寂しいからそんなことを言ったのかもしれないけど、僕に代わりはできないよ」

違う! そうじゃない! 彼と別れて寂しくて言ったんじゃないっ。あんな男のこと、何とも思ってないもの。あんなヤツ、関係ない。そんなこと全然考えてないのに。 そんなこと、どうでもいいのに。

アタシはただシンジを失いたくなくて、シンジに傍にいてほしくて、ひとりになりたくなくて、それだけなのに。
ただそれだけなのに。

「そうじゃないっ」

「いや、そうだよ」

「そうじゃないっ」

「いや、そうだ!!」

「…………」

シンジは逃げてなんかいなかった。
アタシの目を真っ直ぐ見つめて。
アタシの方が視線を逸らしてしまうほどに、アタシを真っ直ぐ見つめて。

強くなったね。うぅん。アタシが弱くなったのかな。

急に押し黙ったアタシを見て、シンジが哀しそうにつぶやいた。

「僕は今までアスカのためだったら何でもやってきたけど、アスカの言うとおりに、アスカの望むとおりに何でもやってきたけど、でもだからって僕を他の男の代わりにするなんてひどいよ、アスカ」

シンジの肩を押さえつけていたアタシを押しのける。

「アスカに嫌われても、アスカに何て言われても、それだけは絶対に嫌だ」

そう言い残して、シンジは部屋を出て行った。



...続く




あとがき

無事、第2話を公開できてホッとしています。
シンジとアスカ、大変なことになってしまいましたね。
自分で書いていてなんですが、このあと二人がどうなるのか心配です。
心配なので、急いで第3話を書くことにします。
頑張ります!
第3話でお会いしましょう。




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