目を開けたアタシの目に最初に飛び込んできたのは、他でもない。アタシのいちばんの親友であるヒカリの姿であった。

「あっ、アスカ、気が付いた? どう? どこかおかしなところない?」

「ヒカリ」

 ヒカリの顔が、アタシを上から覗き込む。

「もうびっくりしちゃった〜。途中でアスカたちを見かけたから声をかけようと思って近づいたら、突然フラッと倒れるんだもの」

 アタシ、倒れたんだ。

「さっき保健の先生が見に来てくれたけど、軽い熱中症だそうよ。それに疲労も重なって眩暈を起こしたんでしょうって。昨夜の寝不足がいけなかったのかもしれないわね。ごめんなさいね。気付いてあげられなくて」

「ヒカリのせいじゃないわ。こんなに暑いんだもの。眩暈くらい起こすわよ」

「でもたいしたことなくて良かったぁ。あっ、これ、少しずつでいいから飲んでね」

 そういってヒカリはスポーツドリンクを差し出した。

「ありがと」

 自分の頭で考えるよりも早く、アタシはそれを口に流し込んでいた。この瞬間をアタシの身体は待ちわびていたに違いない。冷たすぎず温すぎず、のどに流れる傍から身体に染みて行くような、そんな心地よさがアタシを襲う。
 冷房の利いたこの部屋でひと眠りしたからだろうか。さっき外を歩いているときに感じたような、ふわふわした感覚はすっかり消えていた。

「ヒカリがここまで連れてきてくれたの?」

 ようやくアタシは当たり前の疑問を口にした。

「いやだ、アスカったら。私じゃアスカを運ぶなんて無理だわ」

「じゃあ、誰が?」

「アスカのグループには適任者がいるじゃない」

「適任者?」

 そっか。笹本か。身体大きいもんね。笹本以外にアタシを運べるような人間、あの場にはいなかったものね。不本意だけどあとで礼を言っとくか。あまり不要な借りは作りたくないし。

「あぁ、笹本ね」

 そう呟いたアタシに、ヒカリが心底驚いた顔を向けて寄越した。

「アスカ、何言ってるのよ。他にいるでしょ? 適任者が」

「他にって言ったって、笹本以外にアタシを運べるような人」

「体格の問題を言ってるんじゃないわ。アスカのことを大切に思ってる人がいるでしょ、ってこと」

 体格の問題じゃないって言ったって、実際問題としてこの暑さの中アタシをここまで運んで来るとなるとそれは簡単なことじゃない。
 アタシのことを大切に思ってくれてる人? アタシを大切に思ってくれている人が、ここまでアタシを運んできてくれたってこと? それってたぶん、たぶんそれはシンジのことを言ってるのよね?
 シンジは昔っからそうなのよ。アタシが怪我をしたり病気になったりすると、自分のことよりもずっと必死になって心配して。でもだからって、シンジがアタシのことをここまで運ぶなんて、そんなことできるわけない。この暑さの中、あのシンジがひとりでアタシをここまで運んでくるなんて。

 でももし本当にそうなんだとしたら。そうなんだとしたら?

「シンジ?」

「やっとわかったか。本当に世話がやけるんだから」

 ヒカリはそう言ってニッコリと微笑んだ。

「碇君、すごく格好良かったのよ」

「何が?」

「倒れているアスカを碇君が抱きかかえようとしたらね、笹本君が碇君に言ったの。『こんなチャンスめったにないから俺に抱かせろよ』って。そうしたら、碇君すごく怒ってね。『触るな! アスカに触るな!』って。碇君があんな風に怒るの初めて見たから驚いちゃった」

 シンジが? アスカに触るなって?

「それで碇君がアスカを負ぶってここまで連れてきてくれたってわけ。あとでちゃんとお礼言わなくちゃだめよ、アスカ」

 アタシのこと、他人に触らせたくなかったから?

「無理しちゃって、バカね」

「またそんな憎まれ口利いて。いい? 碇君にちゃんとお礼言うのよ」

 アタシのこと守ってくれたの?

「わかってるわよ」

 アタシは小さく頷いた。

「ところで、シンジは今どこにいるの?」

「たぶん海にいると思うわ」

「海? アタシも行く!!」

 そう行って布団から抜け出そうとしたアタシを、ヒカリが静止する。

「アスカはダメよ。残念だけど、もう少しここで大人しくしてなくちゃダメ」

「でも」

「本当は碇君、アスカが目を覚ますまでずっと傍にいるつもりだったのよ。でも女子の部屋に碇君がずっといる訳にもいかないし。みんなにもしつこく海に誘われて、それで」

「せっかく水着買ったのに」

 ポツリと言ったひとことを、ヒカリは聞き逃さなかった。

「そうね。せっかくの水着を碇君に見せられなくて残念かもしれないけど、今日は諦めてちょうだい、アスカ」

「べ、別にシンジに見せたいわけじゃないわよっ。ただせっかく水着買ったのに使わないんじゃもったいないし、せっかく海に来たのに泳がないなんてもったいないし、それに」

「あら、今度碇君と二人で海に行ったらいいんじゃない?」

「だ、だから、シンジのために買ったんじゃないって言ってるでしょ!!」

 ヒカリったらニヤニヤして! 他人事だと思って勝手なこと言ってくれるじゃない。他人事だと思って。

「ねぇ、ヒカリは海に行かなくていいの? ヒカリだって楽しみにしてたでしょ? 海で泳ぐの」

「いいのよ、私は。アスカをおいていくなんてできないし、それに私はアスカと海へ行きたかったんだもの。アスカがいないんじゃつまらないわ」

「ごめんね」

 申し訳なくなって思わず俯いたアタシに向かってヒカリが微笑んだ。

「私が勝手にしたこと。アスカは気にしないで」

「本当にごめんね。そうだ! 今度みんなで海に行けばいいのよ。鈴原も誘って」

「す、鈴原も?」

「そ。何か困ることでもある?」

「そんな。そんなことはないけど」

「じゃ、決まりね」

 アタシの勢いに押されてか、ヒカリは真っ赤になって小さく頷いた。さっきのようなお母さんのような態度はもはや影も形もなく。
 もう、かわいいんだから。

 これはアタシをからかったことへの仕返し。そして、ずっとアタシの傍にいてくれたことへの恩返し。これでも感謝してるのよ。ありがとう。

「こっちの席の人から一枚ずつくじを引いてください。こっちの箱が男子でこっちの箱が女子用です」

 夕食が終わったあとの学習室は、今回の臨海学校でいちばんの盛り上がりを見せていた。これからみんなが心待ちにしていた肝試し大会が行われるのだ。
 コースは臨海学校の敷地内を一周。あらかじめ肝試し大会委員なるものが設立されていて、詳細なコースやお化けの役割等々はすでに決められている。

 学級委員であるヒカリの合図と共にくじ引きが開始された。誰かの手によってクジが一枚ずつ開かれていくたびに、あちらこちらで悲鳴やらため息やら、もしくは歓声等が大きくなっていく。

 いよいよアタシの番がやってきた。

 別にアタシは誰が相手だって構わないのよ。でも、せっかくヒカリがクジに手心を加えたって言うし。それを無駄にしちゃ悪いし。アタシはそういうの興味ないんだけど、でもヒカリのためにね。そう。ヒカリのために。

 箱に手を差し入れると、一枚の紙を掴んで引き抜いた。



 部屋を見回すと、クジを手に間宮さんと向かい合ってるシンジの姿が目に入った。

「碇君と一緒!? いやぁん、嘘みた〜い。碇君、よろしくね!」

「こちらこそ、よろしく」

 なによっ、シンジったらあんなに赤くなっちゃって。こんなの間宮さんの思うつぼじゃない。なんでシンジの相手が間宮さんなのよ。こっち向け。こっち向け。バカシンジ、こっち向け! そのバカ面見て笑ってやるんだから。
 相手がちょっと自分に気があるからって、そんなにモジモジしちゃって。本当にバッカみたい。アタシにはどうでもいいことだけど、シンジがあんまり浮かれているからいけないのよ。だから少しくらい笑わせなさいよ。あとで精一杯驚かせてあげるから。

 そんな言い掛かりにも似た念を送っている私に、至極申し訳なさそうな顔をしたヒカリが近づいてきた。

「ごめんね、アスカ! クジ引きに細工したはずだったんだけど、どっかで手違いがあったみたいで、アスカが引くはずだったクジを間宮さんが引いちゃったみたいで」

 いいわよ、別に。アタシはシンジとペアになりたかったわけじゃないもの。ただ、昼間のお礼を言うきっかけになるかなって思っただけで、別にそれ以上のことは期待してなかったし。全然いいのよ。気にしないで。

「で、アタシ、お化けなんでしょ?」

「まさかアスカがお化けを引くなんて! 本当にごめんね」

「いいのよ別に。ところでヒカリの相手は誰になったの?」

「それがね」

「えぇっ、鈴原!? やったじゃない!!」

「あ、あの、これは別に私が引いたわけじゃなくて、えっと私のクジと交換して欲しいって言う人がいて、それでたまたまそうなっただけで」

「きゃぁ〜、すっごく楽しみになってきたわ。アタシ、思いっきり驚かすから、派手に怖がってよね。なんなら鈴原にしがみついちゃったりしてさ」

「そ、そんな、アスカ、何言って」

「で、アタシのお化け仲間は誰なの?」

「あっ、それなんだけど」

 ヒカリの言葉に絶句してるアタシを、シンジが振り向いた。もちろん爽やかな笑顔のおまけつき。なんてタイミング悪いやつ。でもアタシの念もたいしたものね。ちゃんと通じてる。ほら、笑ってやるわよ。
 そう思って顔を上げたんだけど、シンジの呑気な笑顔を見たらそれさえも出来なくて、アタシはフンッとそっぽを向いた。

 なんか、面白くない。

 そういえば、昼間のお礼、まだ言ってなかったな。そんなことを思ったアタシの背中には、シンジに笑顔を返さなかったことに、少しの後悔の色が浮かんでたかもしれない。誰にも気付かれてないといいんだけど。
 そんな想いを振り払うように、アタシはお化けの準備のために学習室を後にした。



***



「もぅ、信じらんない!!」

 怒りというか嘆きと言うか、ひとり興奮冷めやらぬアタシは花壇の植え込みに身を潜めて呟いた。
 お化けのクジを引き当てただけじゃなくて、その相手がよりによって笹本だなんて。アタシのクジ運の悪さにも程がある。こんな暗闇で笹本と二人っきりだなんて、何されるかわかったもんじゃないわ。

 一人で息巻いていると、遠くから肝試し大会スタートを知らせる笛の音が聞こえた。

 ちょっと笹本ったら何やってんのよ。もう始まっちゃうのに。アタシを待たせるなんていい度胸じゃない。まあこんなお化けの仕事、ひとりで十分だけど。

 アタシの足元には氷水の入ったバケツと、園芸用のノズルの長い霧吹き。この霧吹きを使い花壇の前を通る人の足を狙って、冷た〜い水を一吹きするのだ。
 
 この程度で驚く人、いるのかしら?

 笹本が到着するより早く、一組目がやって来る声が聞こえた。「きゃ〜っ」とか「わぁぁぁっ」とか、そんな声が近づいて来る。こんな子供だましの肝試しで、真剣に驚くやつがいるのね。そんな変な感心をしながら、アタシも前のお化けたちに倣って彼らを驚かせることに尽力する。

 花壇の隙間からノズルを伸ばし、足をめがけて冷水をひと吹き。

「おぉぉっっ!!」
「きゃぁっ!!」

 おっ。これは、意外と。
 アタシは彼らの悲鳴に軽い快感を覚え、これ以降はかなり真剣にお化けを演出した。二組目も三組目も面白いように悲鳴を上げる。手の込んだものよりも、こういう単純なものの方が恐怖を煽るのかも知れない。

 それにしても笹本のやつ、何やってんのよ。後で覚えときなさいよ。

 ふと冷静になってみれば、辺りは真っ暗。居る場所がバレてしまっては困るから、もちろん明かりはつけられない。お化けに驚かされるよりも、ここでこうしてお化けをしている方がずっと怖いのではないかと思えてくる。
 いくらなんでも女一人でここに隠れてるのって、危険よね。敷地内とは言え、か弱いアタシが一人でこんなところに居るのってどうなのよ。あぁ、もう笹本でも何でもいいから、早く来い! 一人で居るよりは、きっとマシ。

 そのときだった。背後からガサッっと葉を揺らす物音が聞こえた。アタシはビクッとして振り向くと、目を凝らす。黒い影が近づいてくる。笹本?
 もっと小さな黒い影。笹本じゃない。やだ、何? 誰?
アタシは身を硬くした。

「遅くなってごめん、アスカ」

 ん? この声?

「シンジ!?」

「ごめんね、アスカ。一人で怖くなかった?」

 シンジはそう言って、驚いて大きく目を見開いているアタシの隣りにしゃがみ込んだ。

「な、何でシンジがここにいるわけ!? シンジは間宮さんと一緒の組だって」

「そうなんだけど、僕、間宮さんてなんか苦手だし、それに」

「それに?」

「アスカの相手が笹本だって聞いて、それってちょっと嫌だなって思って」

「どうしてアタシの相手が笹本だと嫌なの?」

「だってアスカ、笹本が傍にいると迷惑そうな顔してたし、だから嫌なのかなって」

 なんだ。気付いてたんだ。

「シッ」

 アタシは自分の指を口元に当てたまま、もう一方の手で冷水を噴射した。

「あっ、ごめん。お化けやらないとね。ここを通る人にこれを吹きかければいいの?」

 シンジはなんだかやけに楽しそうな顔をして、霧吹きを構える。

「なんだかドキドキするね。こういうの。驚かされるよりも、驚かす方が楽しいかも」

 まったくもう。子供みたいな顔しちゃって。アタシの口から、思わずクスクスと笑い声が漏れた。

「ん? 何?」

「べっつに〜」

 本当に、バカなんだから。バカシンジ。

「それにしても、よく笹本が代わってくれたわね?」

「あ、それはちょっとね」

「ちょっとって、何?」

「うん。ちょっとね」

「ふ〜ん」

 アタシは霧吹きを正面に構えたまま、小さな声で呟く。

「ありがと」

「何が?」

「倒れたアタシを運んでくれたの、アンタなんでしょ」

「あ、う、うん」

 シンジは少し慌てて返事をして、そして急にアタシから目を逸らした。
 ちょ、ちょっと何でそんなに照れてんのよ。こっちが恥ずかしくなるじゃないっ。

「とにかくありがと。アタシ重かったでしょ? 無理しないで笹本にでも運ばせとけば良かったのに」

 「ありがとう」だけにしておけばいいのに、余計な台詞が口を吐いて出た。これはアタシの照れ隠し。アタシの悪い癖。そんなアタシの言葉に、過剰なまでの反応を見せたシンジに驚いた。

「そんなことできないよ!」

 シンジ?

「な、なんで怒るのよ?」

「アスカがおかしなこと言うからだよ」

「何よ。ほんの冗談じゃない」

 そう。冗談。そんなの本心じゃないもの。アタシの悪いくせで、思わず口から出てしまっただけで。本当はシンジにたくさん感謝してる。だから一緒に笑い飛ばして欲しかったのに。

「冗談でもそんなこと言うなよ」

 いつになく、シンジの声はアタシの胸に突き刺さった。

「だから、なんでそんなに怒るのよ」

 アタシは思わず霧吹きを胸に抱えて。お化けだってことを忘れちゃうくらい、それはアタシに衝撃を及ぼした。

「嫌なんだよ」

「嫌って何が?」

「誰にもアスカに触って欲しくないんだ」

「何言って」

「だって嫌なんだよ。アスカが倒れたとき笹本がアスカを抱き上げようとしたのを見て、それだけは絶対に嫌だと思ったんだ。僕以外の誰かがアスカに触れるなんて、そんなの絶対に嫌だって」

 アンタ、何言ってるかわかってるの? それはどういう意味か、わかって言ってるの?

「何で、嫌なの?」

「なんでだろう。今までそんなこと考えたことなかったけど、でもあの時、アスカに伸ばされた笹本の手を見たとき、僕以外の男がアスカに触れるなんて絶対に嫌だと思った。アスカに触れていいのは、僕だけだって」

 アタシの聞き違いじゃない。隣りにしゃがんでいるシンジはアタシのことをじっと見つめて、確かにそう言った。

 それを聞いたアタシは、すごく驚いて息が詰まりそうになって。いや、そうじゃない。すごく嬉しくて胸が苦しくなったんだ。

 だってアタシも思ったんだもの。シンジがアタシを運んできてくれたってヒカリに聞いたとき、アタシも確かに思ったんだもの。アタシを運んでくれたのがシンジで良かった、って。シンジに運んで欲しかったって。
 アタシたちのココロのベクトルは、同じ方を向いてたのね。ずっと。

 アタシは震える声を隠して、自分の言葉のその意味をわからないでいるバカシンジに向かって呟いた。

「バカね。それって、好きってことじゃない」

 アタシの言葉にシンジは心底驚いた顔をして、それから俯いて一人ほくそえんだ。

「そっか。これが好きってことなのか」

「そうよ、それが好きってことなのよ」

 自然と笑みがこぼれる。アタシも、シンジも。きっと同じ気持ちだから。

 お互いに小さく微笑み合ったとき、思いがけずシンジが苦痛の声を上げた。

「痛っ」

「どうしたの?」

 声と同時に右手で口元を押さえたシンジの顔を覗きこむ。

「あっ、ちょっとね」

「ちょっと見せなさいよ」

「大丈夫だってば」

「ほらっ、見せて」

 アタシはシンジの手を無理矢理どかすと、顔を近づけて目を凝らした。アタシの目はすっかり暗闇に慣れていたので、これくらい近づけば明かりがなくてもなんとか見える。

 口元が、なんか少し黒ずんで……

「アンタ、唇の端切れてるじゃないっ」

「あ、うん」

「『あ、うん』て、どこで切ったの? 転んだの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「じゃあどういうわけよ」

「たいしたことないから大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわよ。こんなところ怪我するなんて、子供じゃあるまいし。何があったの? 正直に白状なさい」

「だから、大丈夫だってば」

「いいから話なさい!!」

「わ、わかったよ。でも誰にも言わないでよ」

「いいわ。約束する」

「実は」




「はあ? アンタ、バカじゃないの?」

「だから言いたくなかったのに」

 シンジの話を要約するとこうだ。笹本にクジを交換してくれと頼んだのだけど、案の定、拒否。しつこく食い下がるシンジに、笹本が一つの条件を出した。クジを交換してやる代わりに一度殴らせろ、と。

「で、アンタは『はいそうですか』と顔を差し出したってわけ?」

「だって、そうしないと代わってくれないって言うから」

「ほら、もう一度見せて」

「えぇ、もういいよぉ」

「いいから見せなさい!」

 アタシは顔を近づけてその傷をもう一度眺める。
 アタシのために負った傷。本当は喜んじゃいけないんだけど、でも、嬉しい。これがシンジの意志の証なんだもの。嬉しくないわけがない。

 手を伸ばして、その傷にそっと触れる。痛かったくせに、やせ我慢しちゃって。でもそういうの、嫌いじゃないわよ。

 自分でも驚いたんだけど、そんなことするつもりなかったんだけど、アタシの唇は、そっとその傷に重ねられていた。

「あ、アスカ」

 呆然としたシンジの声にハッと我に返ると、アタシは慌てて飛び退いた。

「あ、あ、こ、これはその、お、おまじないっていうか、そうあの、怪我が早く治りますようにっていうおまじない」

「あ、りがと」

 なんて話を続けていいのかわからなくて、どんな顔をしたらいのかわからなくて、アタシは霧吹きを胸に抱え込んだ。お化けだってことをすっかり忘れちゃってたから、霧吹きの中の水はまだ沢山残っていて、容器の周りは汗をかいて、その滴がアタシの服を濡らした。

 そういえばアタシ、お化けだったんだっけ。何組目まで終わったんだろう。

「ねえ、知ってる?」

 膨張しきった頭を冷やそうと必死になっているアタシに、シンジが尋ねた。

「この肝試し大会でカップルがたくさん生まれるって話」

「知ってるけど?」

「あれって、みんなは肝試しを一緒に回った人同士が結ばれるって思ってるみたいだけど、本当は違うんだよ」

「どういうこと?」

 アタシは思わずシンジを振り向く。

「一緒に回った人が結ばれるんじゃなくて、お化けを一緒にやった人同士が結ばれるって話なんだ」

 シンジはまるで見てきたかのように、自信のある口調で話を続けた。

「なんでシンジにそんなことわかるの?」

「だって、知ってるから」

「知ってるって、何を?」

「この肝試し大会で結ばれた人たちを、だよ」

「それは?」

 遠くから笛の音が聞こえた。肝試し大会終了の合図。

「あっ、終わりの合図。お化けの仕事ちゃんとやらないで終わっちゃったね」

 シンジはアタシの質問に答える前に、小さく笑いながら立ち上がると、

「さ、戻ろう」

 そう言ってアタシに向かって手を伸ばした。
 
 でもアタシはなぜだか手を伸ばせない。アタシのココロはシンジに向かってるのに、おかしいわね。

 そんなアタシにシンジは尚も声をかけた。

「ほら、アスカ」

 優しいシンジのその声に、思わずシンジの顔を見上げる。声だけじゃなくその笑顔もとても優しくて。アタシは差し出されたシンジの手を少し眺めて、そしてシンジの手のひらに自分の手のひらをそっと重ねた。



***



 シンジは気付いてたかしら?

「ほら」

 そう言ってあの時あなたが差し伸べてくれたその手は、アタシの幸せそのものだったのよ。


 アタシたちもいつまでも語り継がれる二人でいたいわね。シンジのお父さんとお母さんのように。ね。




...終


あとがき

最後まで読んでくださってありがとうございました。
夏らしいものを書きたいなぁと思っていたのですが、いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたのなら、嬉しいです。

「バカね。それって好きってことじゃない」って台詞ですが、別に破を意識して書いたわけじゃないんですよ。
書いてみたら同じ言葉が出てきちゃったっていうか、アスカが勝手にしゃべっちゃったというか、そんな感じです。

えっと、よかったら感想ください。
もっともっと頑張ります。





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