なによっ、シンジったらあんなにデレデレしちゃって。あの女も、あの女よっ。ちょっと人気あるからって、いい気になって。

「よろしくね」

「こちらこそ、よろしく」

 顔赤くしちゃってさ。

「ごめんね、アスカ!」

 いいわよ。ヒカリがそんな風に手を合わせて謝ってくれなくたって。アタシは別にシンジとペアになりたかったわけじゃないもの。

「クジ引きに細工したはずだったんだけど、どっかで手違いがあったみたいで、アスカが引くはずだったクジを、おまけにアスカがあれを引くなんて!」

 だから、別にいいんだってば! アタシは相手がシンジじゃなくたって全然構わないの! ただの肝試しじゃない。ここを一周するだけでしょ。そんなの誰が相手だって関係ないわ。

 だけど、ペアは男女って誰が決めたのよ? 学校の伝統行事だかなんだか知らないけど、なんでわざわざペアを決めて肝試しするのよ? そんなの一人で回ればいいじゃない。たかが肝試しよ。肝試し。ペアである必要がどこにあるって言うのよ? どうせ女子が「きゃ〜っ」とか「こわいぃ〜」とか言ってんのを、バカな男子が可愛いとか思っちゃったりするんでしょ。
 ふんっ、くだらない。アタシには関係ないことだわ。

 だって、そうでしょ。仕方ないじゃないっ。アタシには全然関係ないのよ。アタシって昔からクジ運悪いんだから。こんなことになるんだったら初詣で大吉なんて引くんじゃなかった。あんなところで運を無駄に使ってさ。

 みんな勝手に楽しくやってればいいじゃない。だって、アタシには関係ないんだもの。


 アタシは、アタシは……アタシはお化け役なんだからっ!!



***



 真っ青な空の下、アタシたちを乗せた大型バスは、一路海を目指していた。今日から3日間、第三新東京市立第壱中学校第2学年恒例の臨海学校が行われるのだ。

 3年生の修学旅行以外では唯一の泊りがけの行事。学生の期待も半端ではない。その理由は、日ごろは縁遠い海の近くで開放的な気分に浸れるということ、そして初めてクラスメートと共に夜を過ごすということ。何よりも多くの学生が楽しみにしているのは、最終夜に行われる「肝試し大会」。嘘か本当か、毎年この「肝試し大会」をきっかっけに多くのカップルが誕生するのだという。

 恐怖体験は他人との親密さをより深くするっていうし、あながちない話しではないわよね。もちろん今年の学生たちも、それを一番の目的としてるみたいで。

「ねぇ、ねぇ、ヒカリ。ヒカリはどうするの? もちろん鈴原に告白するんでしょう?」

 例に漏れず舞い上がっていたアタシは、隣の席で窓の外を眺めているヒカリの脇腹をコツコツと肘で突付いた。

「えっ、そ、そんなことしないわよ。だって鈴原、私のことなんてなんとも思ってないと思うし」

 突然の質問に顔を赤らめて、ヒカリは慌てて首を振る。

「なぁに言ってんのよ。鈴原だってヒカリのこと好きに決まってんじゃない。じゃなきゃ、あんなにヒカリのことばっかり見てないわよ。ほらっ」

 そう言って座席から通路に首を出したアタシは、車内後方を振り向く。一番後ろの席に並んで座っている3バカトリオのうちの一人と目が合ったので、お互いに軽く手を振ってからヒカリに向き直った。

「ほらごらんなさい。やっぱり鈴原のやつ、こっちばかり見てたわよ。ヒカリが気になってるのよ」

「それはアスカが顔を出すからでしょ。そんなの誰だって気になるわよ!」

 そんなのアタシだってわかってる。でもこの二人がお互い好きあってるというのは、間違いない。それなのにヒカリも鈴原も煮え切らない態度をとってるから、アタシが誘導してあげてるのだ。
 まあ、簡単に言うとお節介ってやつ? こういうのって、きっかけが必要だと思うし。ほら、誰かがチョンと背中を押しただけでトントンと物事が進むってことあるでしょ。

「それより、アスカはどうなのよ?」

「へっ? アタシ?」

「そうよ。アスカの方こそ、碇君に告白しないの?」

「な、な、な、何言ってんのよ、ヒカリ!」

「だって、好きなんでしょ。碇君のこと」

「ぜ、全然好きじゃないわよっ、あんなやつ!」

「とてもそんな風には見えないけど。いつもすごく仲がいいじゃない。今だって手を振ったりして。鈴原を見たって言っておきながら、本当は碇君を見たかったんじゃないの?」

 ヒカリはクスクス笑いながら、アタシの顔を覗き込んだ。それは真実ではないと思いながらも、言い返せないのはなぜだろう。

 ヒカリのいう「碇君」というのは、さっきアタシが手を振った3バカトリオのうちの一人だ。名前を「碇シンジ」と言って、うちの隣に住んでるアタシの幼馴染。いつも鈴原と相田の3人でバカなことばっかりやってるから、3バカトリオ。もちろん命名者はアタシだ。
 ヒカリは、アタシがそのシンジのことを好きなのだと言って憚らない。

 確かに子供の頃からずっと一緒だったアタシとシンジの仲が良いというのは、自他とも認めるところ。でも好きとか嫌いとかそういうことを考えたこともないし、シンジの口からも、そんな話しを聞いたことはない。
 一緒にいると楽しいし、居心地もよい。だけど、ドキドキするとか相手を思って物思いに耽るとか、そういうことは一切なくて。上手く説明できないんだけど、つまりはそういう関係。

「委員長特権で、アスカと碇君がペアになれるようにくじ引きに細工しておくからね」

「そういうの特権て言わないわよ。職権乱用よ」

 とても楽しそうにニヤニヤしているヒカリを軽く睨みつつも、少しだけ期待してしまうのはなぜだろう。

 アタシはヒカリの向こう側にある窓の外に目を向けて、キラキラと海面に反射する太陽の光に思わず目を細めた。



***



 臨海学校は海岸と目と鼻の先にあった。そのためグラウンドやテニスコート等を含めたすべての敷地を囲むように、防風林である松がびっしりと植えられている。そうは言っても、その松の囲いの内側はかなりの広さを有しているようで、防風林の圧迫感というのは、全くと言っていい程無い。建物においても、中学生が宿泊し学習する場としては、十分なくらいの外観と設備を備えていた。もっとも、近くに寄れば海の潮風による錆があちこちに見て取れるのだけれども。

 部屋割りは男子が2階、女子が3階。全部屋4人ずつに分けられた。窓を開ければ、眩しい陽の光と潮の香り。青春の大切な数日を過ごす場所としては悪くない。

 着いて早々、荷物の整理も終わらないうちに、アタシたち学生は学習室と呼ばれる机と椅子そして大きなホワイトボードしかないひどく簡潔な場所に集められた。

 臨海学校というからには遊びで来ているわけではないのだけれども、あまりにも質素な空間になんかガックリきて、アタシは思わずスンッ鼻を鳴らした。

 大事なことを忘れるところだったけど、今回の臨海学校にも一応学習目標というのがある。
「地域の歴史とそれに纏わる仏閣神社及びその他歴史的建造物について」
「地域住民の海との関わり、海の恩恵と塩害について」
「地域一帯の地盤・地層及び気候・天候について」
等々いくつかある課題の中からグループごとに決定・調査し、その成果を発表しなければならない。
 臨海学校は3日間だが最終日の午前中に研究発表会があるため、実質は今日の午後と明日の、合わせて一日半。どう考えても付け焼刃な研究だと言わざるを得ないが、臨海学校としてはこんなものだろう。オリエンテーリングよろしく、足と耳を使っての情報収集を行うことが目標なのだから。

 早速グループごとに分かれて、情報収集へと向かう。知らない町を地図を片手に歩くというのは、ちょっとした冒険の様だ。みんな浮かれ気分で、町を歩き回る。欲を言えば、日差しがもう少し弱い季節に訪れたかった。今日の太陽は肌に突き刺さるようで、乙女の大敵に他ならない。
 研究班のグループ分けは単純に名前の順に前から4班に割り振られた。臨海学校という名目上、一応学習の場。部屋割りとこの研究班割りは先生の一存で決められた。偶然と言うかなんと言うか、私はシンジと同じ班だ。ま、気心知れててやりやすいかな。

 ヒカリは残念ながら別のグループ。何より残念に思うのは、ヒカリと鈴原が別々のグループになってしまったということ。これで二人の関係の進展は、肝試しまでお預けか。大きなお世話だと言われればそれまでなのだが、大好きなヒカリには幸せになって欲しいのだ。

 そんなことを考えていたアタシに、ヒカリが駆け寄る。

「アスカ、良かったわね。碇君と同じグループじゃない。頑張るのよ」

「頑張るって何をよ?」

「碇君を狙ってる女子って、けっこう多いのよ。ほら、同じ班になった間宮さん、碇君のことを気に入っているって噂よ。しっかり見張ってないと間宮さんに碇君を取られちゃうかもしれないわよ?」

「と、取られちゃうも何もアタシとシンジは……」

「いい、アスカ? いつまでも意地張ってると、本当に碇君を誰かに取られちゃうかもしれないのよ」

「だから、別にアタシはシンジのことなんて何とも」

「とにかく頑張るの! 間宮さんになんか負けちゃだめだからね」

 アタシの顔を思いっきり覗き込んで力強く語ったヒカリは、メンバーに呼ばれて、慌てて後を追いかけた。頑張れと言われてもねぇ。

 間宮さんがシンジに気があるとは初耳だ。でも確かに、そういえばさっきから間宮さんはシンジにぴったりとくっついている。シンジの広げた地図を覗き込んで。

 ちょっと、ちょっと、それは必要以上にくっつき過ぎ! シンジのお人よしっ。鈍感男っ。間宮さんの魂胆も知らないで、ニコニコしちゃって。もう少し離れろっ! ってアタシ何言っちゃってんのよ。別にシンジの傍に誰がいようと関係ない。

 アタシはグループの最後尾についてのそのそと歩いた。前方の二人をなんとなく目の端に捕らえながらボーっと歩いていたアタシは、突然日差しが遮られて陰になったことに驚いた。
 ハッと陰を振り向くと、そこにはアタシに覆いかぶさるようにして立っている笹本の姿がある。長身の彼がそこに立つことによって、アタシが彼の日陰に入る格好になったのだ。

「なんだよ、惣流。ボーっとしてさ」

 アタシは彼の顔を見上げると、

「別に」

 実に素っ気無く返事をした。だってコイツ、しつこいんだもの。なんでこんなやつと同じグループになっちゃったのかしら。

 この笹本って男、長身でスポーツが得意とかで、クラスの女子からはけっこう人気がある。でもお生憎様。アタシは全然興味がない。自分の人気があることを鼻にかけていて感じ悪いのよね。にもかかわらず、彼はアタシに首っ丈。これは自惚れでも何でもなく、周知の事実。はっきりと断ったにもかかわらず、めげずに何度もアタシに挑んでくる。

 以前、あまりにもしつこい笹本の追っかけに頭にきて、アタシは尋ねた。「何でアタシなのよ?」って。そしたらアイツ、なんて言ったと思う?

「青い瞳の彼女がいたらカッコいいじゃん」

 ふざけんなっ!! 皆さんのご想像通り、アタシの怒りは頂点に達したわけで。彼の顔めがけて鞄が振り下ろされたのは言う間でもない。そんなこんなでアタシはこの笹本が大っ嫌いなのだ。

 それなのに笹本はアタシの周りをウロウロウロウロ。そして間宮さんもシンジの周りをウロウロウロウロ。

 期待を膨らませていたはずの臨海学校は、最悪な形で幕を明けた。



***



 2日目の朝、クラスの女子の多くは半分眠ったままの頭で朝食を採る羽目になった。海辺の美しい朝日を眺める余裕なんてこれぽっちもなく。

 おしゃべり好きというのは、女子の宿命だろうか。昨夜は遅くまで人によっては明け方まで、おしゃべりに花を咲かせていた。
 女子中学生が話すことと言えば内容のほとんどはもちろん恋の話し。みんなで感嘆詞を多用しながら充実した時間を過ごしたのだ。

「洞木さんはやっぱり鈴原なの?」

「えっ、そんなこと」

 誰かが当然のことだと言う様に、声を上げた。クラスの女子の視線が自分に集中したのを感じて、ヒカリは真っ赤になって俯く。

「まだ告白してなかったの!?」

 別の方向からまた別の驚きの声が上がる。
 みんなも思ってたのね。ヒカリと鈴原はくっつくべきだって。自分の目に狂いはなかったと、アタシはひとりほくそえんだ。

「ねえ、あなたは?」
「早く言っちゃいなさいよ」

 そんな風に一人ずつ白状させられていく。
 頑なに発言を拒否する者もいれば、自ら声を大にして発表する者もいて面白い。
 アタシはもちろん、こう答えた。

「特になし」

「えぇぇぇっ〜〜〜〜!!」

 そんな非難の声が上がったが本当のことだから仕方がない。今のアタシには胸が苦しくなったりドキドキするような相手がいないのだから。

 シンジはどんなんだとアタシに詰め寄った人もいたけど、シンジにそういう感情はないとキッパリと言ってやった。そうしたら近くに座っていた間宮さん、

「じゃ、私が碇くん、狙っちゃおうかなぁ」

 アタシにだけ聞こえるようにそう言って、意味ありげな視線をアタシに寄こした。
 狙っちゃおうかな? もう狙ってんじゃない、アンタ。何でわざわざアタシに言うのよ? 宣戦布告ってわけ? 別にアタシはそれに乗っかるほど暇じゃないけどね。
 アタシはわざと聞こえない振りをした。だってアタシには関係ないもの。でもなんか、ムカつく。



 朝食を終えたアタシたちは、のんびりする間もなく玄関前に集合した。

 今日の予定はこうだ。午前中は昨日と同様、足を使っての情報収集。そして昼食の後、しばし自由時間。海へ行くも良し、散歩に行くも良し、もちろん部屋でダラダラするも良し。そして夕方からは、集めてきた情報を基にした研究のまとめを行うことになっている。

 午前中さえ乗り切れば、青い海がアタシたちを待っている。
 今日のためにとびっきり可愛い水着を買ってきたんだから。シンジのため息が聞こえるようだわ。って、だからシンジの感想はどうでもいいのよ。とにかく逸る気持ちを抑えつつ、アタシは玄関へ向かった。

 今日はまた一段と暑い。外に一歩出ただけで一瞬目がくらむ。思わずフラッとなりかけた身体をなんとか立て直すと、目を細めて辺りを見回した。

「今日はどっちの方へ行ってみる?」

「適当でいいよ。目ぼしい場所は昨日だいたい行っちゃったし」

 地図を広げて輪になったみんなの相談している声が聞こえるが、アタシはその輪に加わらずに少し離れた場所で空を見上げていた。

 暑いわね。まったく。

「昨日とは反対側へ行ってみたらどうかな?」

「うん。私もいいと思う。碇君が言うならどこでもいい!」

 顔を見なくても想像できることに腹が立つ。語尾にハートマークが付いてるんじゃないかと思うほど甘えた声で返事をしているのは、間違いない。間宮さんだ。

 なんなのよ。あの女。

 暑くてみんなの話しも耳に入らない。こうしてここに立っているだけで、なんだか眩暈がする。今のバカバカしい発言を聞いたせいだろうか。

「じゃあ」

 こうも暑いと何もしなくても体力を消耗する。何でもいいから早く決めて欲しい。さっさと出発してさっさと帰ってきて、アタシは早く海へ行きたい。海で遊ぶことがこの臨海学校でのいちばんの楽しみだったのだから。

 だってかわいい水着、買ったし。

「アスカ〜、行くよ〜っ」

 アタシがボーっとしている間に、みんながポツポツと歩きはじめていた。シンジの呼び声にアタシもようやくみんなの後を追う。

 セミがうるさい。このセミの鳴き声が体感温度をグッと押し上げる。宿舎を出発してまだ5分も経っていないと思うのだが、昨日よりもこの日差しによるダメージが断然大きくなっている気がする。チリチリと音が聞こえそうなほどに、太陽は肌を傷つける。
 日差しが強すぎるのだろうか。視界に靄がかかったように、白っぽく見える。

 相変わらずシンジの隣りには、間宮さんがぴったりとくっついて歩いて。シンジも満更でもないような顔しちゃって。
 もっと迷惑そうな顔、しなさいよ。いくらお人好しだからって。いくら鈍感だからって。

 ……バカ。

 そしてアタシの隣りには、やっぱりしつこく笹本が張り付いている。こんなに迷惑そうな顔してるのにどこまで楽観的なのかしら。さっきから自慢話ばっかり。もう聞き飽きた。

 ときどきシンジがこちらを振り返る。心配そうな顔をして。

 大丈夫よ。迷子なんかにならないから。ちゃんとみんなの後付いて歩いてるわよ。そんなに何度も振り返るんだったら、笹本からアタシを救出してよ。

 バカシンジ。

 アタシたちのグループが選んだテーマは『数多く点在する神社は地域住民の生活にどのように係わっているのかについて』だ。海岸線に点在する祠と山側にある神社は、地域住民の生活に密接に係わっているのだという。それを調べるために、神主さんから話しを聞いて回っているのだ。

 昨日は海岸線に多く点在する祠等を見て回ったので、今日は山側の神社を回ることになっていた。しかし、海風が通り抜ける海岸線と違い、今日のコースは時が止まってしまったのではないかと思えるほどに、空気の流れが感じられなかった。空から照りつける太陽がさらにアスファルトに反射して、熱い空気となって身体に纏わり付く。

 そんな中でも、間宮さんはシンジにべったりで。見てるこっちが暑苦しいっての。

 でもなんとか午前中を乗りきれそうだ。宿舎に帰ったらすぐにでも出かけよう。新しい水着を着て、海へ飛び込んで。それだけを楽しみにこの最悪な環境と状況をなんとか乗り切ろうと考えていた。

 それなのに。

 あと一箇所で調査終了というところまできて、アタシは自分の身体に違和感を覚えた。
 なんか頭痛くなってきた。暑い中、変なことばかり考え過ぎたかしら?

 陽炎?

 前を歩いているシンジの後姿が歪んで見える。これだけ暑いんだもの。陽炎が立ってもおかしくないわよね。でもね、さっきからなんだか足元がふわふわするの。まるでスポンジの上を歩いているような。ほら、視界もさっきより暗くなって。足を踏み出すと、やわらかいスポンジに足をとられるみたいになって。その上シンジの姿が見えなくなって。



 えっ?



 やだこれ、ちょっとおかしい。
 ただの陽炎じゃ……

 ない。



 あ、れ?




続く...







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