今日は朝からソワソワして落ち着かない。時計を見てはシンジがやって来るまでの時間を逆算してみたり、何度も窓の外を覗いたり、松葉杖の練習と称して病院の入口を無駄に行ったり来たりしてみたり。

そんなことをしなくたって、シンジはいつもと同じようにやって来るに違いないのに。

でもじっとしていられないのだ。早く手紙を渡したいような、渡したくないような。 返事を聞きたいような、聞きたくないような。複雑な心境で、自分でもどうしていいのかわからない。

この手紙をシンジは喜んでくれるだろうか。チョコレートがないことにがっかりするだろうか。困ったような顔をするのかな? 少なくとも迷惑そうな顔だけはしてほしくない。

ろくに喉を通らなかった昼食を終えると、アタシは覚悟を決めて部屋で大人しく待つことにする。
1時間=60分というのは何かの間違いで、本当は1時間=150分くらいあるのではないかと疑ってしまいたくなるくらい長い午後。
アタシはひたすらシンジを待った。

15時。もうすぐシンジがやって来る。
アタシは初めて書いたラブレターを枕の下に隠した。
もうすぐやって来る。シンジがやって来る。


15時30分。いつもならもうとっくに来ている時間なのに、今日に限ってまだ来ない。
居残りでもさせられてるのかしら。マナに呼び止められている可能性もある。うぅん、マナならきっとそうするはず。そんなの早く振り切って来い!


16時。シンジはまだ来ない。
何やってんのよ。あのバカ。


16時30分。遅い! なんで来ないの? まだマナと一緒にいるの? こんな時間までマナと一緒にいなきゃいけない理由があるの? ねぇ、なんで?


17時。シンジのやつ、全然来ない。影も形もない。
マナと一緒にいるから? だからアタシのところには来てくれないの? 来ないつもりなの? アタシには会いに来ないの?


17時30分。これが答えってわけ?
シンジはアタシじゃなくて、マナを選んだんだ。聞くまでもなかったんじゃない。
手紙なんて書いてひとりで盛り上がって、アタシ、バカみたい。


18時。枕の下から手紙を取り出した。
さっきまではあんなに愛しかったこの手紙が、今はただの紙屑にしか見えない。
窓の外も薄暗くなってきた。外の景色が闇に包まれていくのと同じように、アタシの心も色を失って行くんだ。
アタシはガラスに映る自分の姿と見つめ合った。


トン トン トン


「はい?」

もう夕食の時間か。でも、食べたくない。
アタシはチラッとドアに目を向けた。

「アスカ、遅くなってごめんね。ちょっと用事があったから」

予想に反して聞こえた声。能天気なシンジの声。ニコニコしながら部屋に入って来たのは、紛れも無いシンジその人だった。
この時を待ち侘びていたはずなのに、シンジが来るのを心待ちにしていたはずなのに、なのにちっとも嬉しくない。
そんなアタシの気も知らないで、シンジはベッドに歩み寄る。なぜか右手に大きな紙袋をぶら下げて。

「実はね、これアスカと一緒に食べようと思って」

そう言ってサイドテーブルにシンジが紙袋を置いた。中には赤いリボンのかかった四角い箱が見える。

「何よこれ」

「今日はバレンタインデーだから」

赤い顔でモジモジしながら答えるシンジを見て、アタシはピンときた。
マナからもらったのね? だから来るのが遅かったのね? それをアタシのところに持って来るなんて、いい度胸じゃない。しかも一緒に食べようだなんて。かわいそうなアタシに同情? 当て付け?

「だからって、なんで一緒に食べなくちゃいけないわけ?」

「だってアスカ、ケーキ好きでしょう?」

どこまでアタシをバカにしたら気が済むのよ。どこまで無神経なのよ。
自分でもわかる。頭に血が上って手が震えてくる。ギプスさえはめていなければ飛び掛かってパンチをお見舞いしてやるのに。

「帰って」

「えっ?」

「帰ってよ」

「でも、ケーキ」

「帰れっ!!」

言葉と同時に、アタシは思いっきり枕を投げ付けていた。その拍子に手にぶつかったケーキの箱も一緒に落ちたけど、知るもんかっ。
あまりの剣幕に呆然としているシンジに向かって、留めを刺した。

「シンジの顔なんて、二度と見たくないっ」

シンジの瞳がとても悲しそうに見えたのは、きっと気のせいだ。だって悪いのはシンジなんだから。悲しいのはアタシの方なんだから。

シンジは何も言わず、ただただ悲しそうな顔をして部屋を出て行った。
残されたのはひとり盛り上がっていたバカなアタシと、渡せなかったラブレター。
シンジに投げ付けてドアの前に転がっている枕と、床に落ちて大きく歪んだケーキの箱。
マナがシンジにあげたバレンタインのプレゼント。
シンジがマナからもらった……

大きく歪んだ箱の端から、白い封筒らしきものが顔を覗かせていた。
見ちゃいけない。いくらなんでも人の手紙を盗み見るなんて趣味が悪すぎる。
でも。

でも。

アタシは動かない右足をそのままに、左足だけ床に下ろしてエイッと手を伸ばした。
許せ、シンジ!
歪んだ箱から白い封筒だけを抜き取って、ヨイショッとベッドに身体を戻す。

四つ葉のクローバーの押し花が付いている白い封筒。マナが選んだ割には地味な感じがする。
震える指先で封のされていない封筒を開けて中身を取り出し、恐る恐る便箋を開いた。




これマナの手紙じゃない。

なぜなら、そこに並ぶのは見慣れた字。アタシのよく知っているシンジの字。
これってアタシ宛て?

「アスカへ」で始まる文章に、アタシは緊張を隠せなかった。


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アスカへ

アスカの顔を見ると照れ臭くて言えないと思うので、手紙に書きます。
いつもチョコレートをありがとう。
毎年僕ばかりがもらっているのは不公平なので、今年は僕がアスカにプレゼントしようと思います。
何をプレゼントしようかすごく迷ったんだけど、アスカの大好きなケーキにしました。
僕は、アスカがケーキを食べるときの嬉しそうな笑顔が大好きだから。
だから一生懸命作りました。
初めて作ったから味は保証できないけど、喜んでもらえるといいな。

それからもうひとつ。
アスカに伝えたいことがあります。
今頃気付くなんて、僕って本当にバカだよね。

この前アスカが病院に運ばれたとき、学校で倒れたって聞いたとき、アスカに何かあったらどうしようって、いてもたってもいられなくなって、アスカがこのままいなくなっちゃったらどうしようって、本当に心配で心配で。
アスカが僕のそばからいなくなるなんてこと、考えたことなかったから。
だからそのとき、やっと気づきました。
今日はそういう日なんだと思うから、思い切ってアスカに打ち明けようと思います。
どうか笑わないで聞いてください。

僕はアスカのことが大好きです。
小さい頃からずっと大好きでした。
僕は何の取り柄もないけれど、そばにいてあげることくらいしかできないけど、これからは僕がアスカのことを守ります。
小さな頃、アスカが僕にそうしてくれたみたいに。

また来年も一緒にケーキを食べられるといいね。

シンジより
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なんてことをしたんだろう。シンジに、なんて酷いことを言ってしまったんだろう。

アタシは再び左足を下ろして手を伸ばすと、紙袋を自分の許に引き寄せた。紙袋の中で大きく形を変えてしまった箱を取り出す。
箱の中に入ったケーキが崩れないように四苦八苦して結んだであろう赤いリボンをそっと解いて、箱の蓋を開けた。

右側の半分が大きくひしゃげてしまっているが、どこからどう見ても、誰が見ても、おいしそうなケーキだった。
アタシの大好きなチョコレートケーキ。
なんとか元の形を保とうとしている左側半分を見るだけでも、綺麗にデコレーションされていた跡が伺える。

箱の中に手を入れてチョコレートクリームを人差し指でひと掬いすると、口に放り込んだ。そのチョコレートクリームは、アタシの大好きなケーキ屋さんのものと同じように、少しだけオレンジの香りがした。
初めて作ったケーキでこんな細かいことができるわけないから、だから多分シンジは何度も何度も練習して、アタシが大好きなケーキを研究して作ったに違いない。

甘いはずのクリームが、口の中ではなぜかしょっぱく感じた。涙の味がした。

指をくわえたままのアタシの頬を、幾筋もの涙がつたう。
アタシはシンジになんて酷いことをしたんだろう。シンジがどんな想いでこのケーキを作ってくれたのか。どんな想いで手紙を書いてくれたのか。
それは多分、アタシがシンジに手紙を書いていたときの気持ちと同じ。シンジのことばっかり考えて、どうやってシンジに想いを伝えようかって。きっとそれと同じ。
シンジはアタシのことばっかり考えて、アタシの喜ぶ顔が見たくて、それで無理してケーキまで作って。
そんなシンジに、アタシはなんて酷いことをしたんだろう。

いちばん想いを伝えたかった大切な人にアタシがしてしまったことは、もう取り返しがつかない本当にひどいことだ。
さっき部屋を出て行ったときのシンジの顔を見ればわかる。いくらお人よしのシンジでも、すごく怒ってるはずだから。うぅん、悲しんでいるのかな。

こんなことでシンジを失うなんて、自業自得だ。

アタシは声を出して泣いた。この部屋にはアタシしかいないから、だから誰に遠慮することなんてない。自分でもどうやって止めていいのかわからないくらい、涙が溢れる。悲しくて、寂しくて、枕に顔をうずめて泣いた。
大きくひしゃげたこのケーキと同じように、アタシの心も大きく歪んだ。誰のせいでもない。この愚かな自分のせいで。




泣きつかれて眠ってしまったらしい。うつ伏せになっている顔を少しだけ上げ、重い目蓋をゆっくりと開く。
どのくらい眠ってしまったのか。時計を見ようとのっそりと身体を起こした。

そのときアタシは、サイドテーブルに置かれた見慣れぬ箱に気付いた。シンジの作ってくれたケーキの箱とは違う。歪んでもいないし、つぶれてもいない。そもそもシンジのケーキの箱は枕元に置いてある。
今初めて見た箱だけど、でもどこかで見たことがあるような。どこで見たのか。

!!

アタシは慌てて振り向いた。
やっぱり! 部屋の隅に立って、真っ暗になった窓の外を眺めている人物がいる。
シンジだった。起き上がったアタシに気付いたシンジが、顔を上げた。

「あっ、起きた?」

シンジは少しも怒ってなんかいなかった。さっきの悲しそうな顔もしていなかった。いつものように微笑んで、そしてそこに立っていた。
アタシはどんな顔をしていいのかわからなくて、目を伏せた。

ガタッと席を立つ音がする。トットットッと足音が近づく。最後にトッと音をたてて足音が止まった。アタシのベッドのすぐ脇に。
でもシンジは何も言わないで、そこに静かに立ったまま。

シンジの視線が痛い。
シンジはきっといつもと同じように優しい目をしているはずだ。ただアタシは自分のしたことが後ろめたくて、シンジの優しい視線さえも突き刺さるように感じるのだ。

何か言って欲しい。黙っていないで。

違う。アタシから言わなくちゃいけないんだ。アタシには言わなくちゃいけないことがあるじゃない。シンジに言わなくちゃいけないことが。
少しだけ目を上げて、そしてつぶやいた。

「ごめんなさい」

シンジはやっぱり優しい目でアタシを見つめていた。
さっきのことなどまるでなかったことのように、ニッコリと微笑む。

「アスカの大好きなケーキ屋さんでケーキ買ってきたんだ。アスカの大好きなチョコレートケーキだよ。一緒に食べよう?」

さっきシンジが部屋を出て行ったのは、怒ったからじゃなくてこのケーキを買いに行くためだったんだ。いくら相手がアタシだからって、お人好しにも程がある。
アタシは嫌われても仕方のないくらい酷いことをしたっていうのに、アタシを責めるどころか新しいケーキまで用意して。本当に馬鹿なんだから。

「いい。こっちのケーキ食べるから。フォークちょうだい」

アタシは枕もとの歪んだ箱を抱えた。

「えっ、でももうそれグチャグチャだし」

「いいの。このケーキが食べたいの。フォークちょうだい」

躊躇いながらも差し出されたフォークを受け取って、アタシはひしゃげたケーキを口に運んだ。

「おいしい」

その様子を、シンジは黙って見ていた。ちょっとだけ頬を赤くして、はにかんだ顔で。
シンジがアタシに作ってくれたケーキ。アタシのためだけに作ってくれたケーキ。それが、おいしくないわけがない。甘くて、甘くて、でもとても切ない味がした。

「手紙」

「えっ?」

「読んだわよ」

「あ」

シンジはしまったという顔をして、俯いた。話を切り出したアタシも、その先どう続けていいのかわからなくて、自然と伏せ目がちになる。
あの気の弱いシンジがこんなにも一生懸命にアタシに想いを伝えてくれた。シンジにとってそれがどれだけ勇気のいることだったか、想像に難くない。シンジがそこまでしてくれているのにアタシが何もしないでいいわけがない。アタシだってちゃんと伝えなくちゃいけない。
ごめんの一言では片付けられないほど、シンジを傷つけてしまったんだから。だから、アタシも。

「アタシも」

「?」

「その、手紙を書いたの」

シンジはパッと顔を上げると、アタシを見つめた。

「もしいらなかったら、捨ててほしいんだけど」

「欲しい」

「えっ」

「その手紙、ちょうだい?」

アタシは枕の下からそれを取り出すと、両手で両端を強く掴む。
シンジを傷つけたアタシに、これを渡す資格があるんだろうか。
手紙に視線を落として、逡巡しているアタシにシンジが言った。

「やっぱり」

「えっ?」

「アスカに、読んで欲しい」

「あ、アンタ何言って」

「アスカの手紙、アスカに読んでもらいたいんだ。アスカの声で聞きたい」

「でも」

「お願い」

こんなことでアタシのしたことが帳消しになるとは思えないけど、
でも、そんなことでシンジが許してくれるなら。

「わかった」

自分で書いた手紙だから、その内容もわかっているから、だから封筒から便箋を取り出すという作業さえもとても恥ずかしくて、まだ読んでもいないのに顔が赤くなる。
心臓がドキドキして、口から飛び出しそうなくらい。耳の先まで熱くなってくる。
自分の書いた手紙を、本人の前で声を出して読むことになるなんて。

シンジはアタシの一つ一つの動作も見逃すまいとするように、アタシをじっと見つめていて。

「じゃあ、読みます」

「はい」

アタシの緊張がシンジに伝わってしまったのか、それともこれから手紙の内容を知ることになるシンジの方が緊張しているのか、なんだかヘンな空気がアタシたちの間に流れている。
このヘンな空気から逃れるためには、アタシがこの手紙を早く読み終えるしかない。
だからアタシは覚悟を決めた。

「シンジへ」

静まり返った部屋にアタシの声だけが響いた。

「大好き。アスカより」

たったこれだけ。これがアタシの手紙のすべて。あんなに悩んで、何度も書き直して、結局これしか書けなかった。これ以上の言葉が見つからなかったから。アタシの想いは、これ以上でも以下でもないから。

「これだけ?」

「そう。これだけ」

シンジの疑問ももっともだと思う。シンジはあんなにちゃんとした手紙をくれたのだから。
アタシはたったこれだけ。紙に書くまでもない、たったの一言。読み返す必要もないほどの短い手紙。それなのに。

「それ、ちょうだい?」

そう言ってシンジは手紙を受け取ると、その短い手紙を何度も何度も読み返していた。本当に穴が開いてしまうんじゃないかと思うくらい、その手紙を見つめていた。

「本当に?」

「えっ?」

「ここに書いてあることは本当?」

そりゃあもう真剣な顔で、シンジが問う。

「う、うん」

すると見る見るうちにシンジの顔がパアッと明るくなって、笑顔になって。それはもう本当に嬉しそうに。

「アスカが、僕のこと好き?」

「うん」

シンジのその顔を見ていたら、アタシもなんだか嬉しくなって。もっともっと喜んだ顔が見たくなって。

「来年も」

アタシを見つめるシンジに向かってこう言った。

「来年もケーキ、作ってよね」

「うん!」



*後日談

あの日、シンジはマナからチョコレートはもらわなかったらしい。
ケーキを作るために、授業が終わると同時に学校を飛び出したから、だからマナも呼び止める暇もなかったみたい。
シンジにそれを聞いたら、こんなこと言ってた。
「霧島さんが僕にチョコレート? そんなことないと思うけど、もし僕にチョコレートをくれるようなことがあっても、僕はちゃんと言ってたと思うよ。僕はアスカが好きなんだってね」
それを聞いたアタシがどうしたかって? ふふふ。みなさんのご想像通り。


...終


あとがき

初の学園エヴァ、いかがだったでしょうか?
意地っ張りアスカさんが恋愛に悩む姿って、こんなかなぁと想像+妄想で書きました。
思いのほか長くなってしまいましたが、楽しんでいただけたなら幸いです。
最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。





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