バレンタインデーが目前に迫ったこの日、アタシに悲劇が訪れた。

「アスカ!」

「任せてっ」

そう言ったアタシが、何故今ここでこうしているのか。あのとき突然アタシの天地が逆さまになって、遠ざかる意識の向こうで聞こえたのは悲鳴にも似たヒカリの叫び声。

「きゃぁっ、アスカぁっ」

その声に重なるようにザワザワとみんなの声も聞こえる。

「アスカ、大丈夫?」
「誰か、先生呼んで来て!!」
「アスカ!」

「アスカ〜〜〜っ!!」



「アスカったら、びっくりさせないでよ。意識がないって聞いて、僕、すごく心配したんだからね」

「大丈夫よ。ちょっとひっくり返って脳震盪を起こしただけだもの」

「そんなこと言ったって、打ち所が悪かったら大変なことになるんだよ」

「もう、うるさいわね。わかってるわよ」

体育の授業中だったアタシは、自分に向かって飛んできたサッカーボールに狙いを定めて大きく足を振り上げたはずだった。ところが何を間違えたかボールの上に足を乗り上げてしまい、そのまま後ろにひっくり返ったんだとか。
運動神経には自信あったんだけどなぁ。

「それより、アンタ。授業どうしたのよ。まだお昼前よ?」

「だって、アスカが心配だったから早退してきちゃった」

「アンタばかぁ? そんな早退、認められるわけないじゃないっ」

「うん。だから、先生には黙ってきた。あっ、でも洞木さんには言付けて来たから」

そう言ってはにかんだシンジに、アタシは小さくため息をついた。
ヒカリに言えばいいってもんじゃないでしょ。本当に馬鹿なんだから。

このシンジっていうのは、アタシの幼馴染み。同じマンションのお隣さん同士で親も同じ職場同士だから、文字通り家族ぐるみのお付き合いをしてる。確かアタシが引っ越してきたのが3歳くらいの頃だったから、10年以上の付き合いになるのかな?

何しろ気が小さくて、頼りない男なの。どんな時でもいじめっ子からシンジを守ってあげてたのは、このアタシよ。アタシがいないと、何にも出来ないんだから。

「アスカ、痛くない? 大丈夫?」

シンジはギプスをはめられたアタシの右足を、心配そうにそっと撫でた。

…………

そうなんです。アタシ、骨折しました。診察の結果「右腓骨骨折」全治二ヶ月。
わかりやすく言うと、右足の脛の隣り(っていうか後ろ)にある骨を折ったってこと。そのためただ今病院のベッドの上で身体を横たえてるってわけ。体育の授業なんかで骨折してしまった我が身が、本当に情けないっ。

「大丈夫よ。骨折って言っても手術とか必要ないみたいだし、このギプス以外はいたって健康だわ。先生の許可が出たら帰るから、シンジ、アタシの鞄持ってくれる?」

「うん。もちろんだよ」

こんな頼りないシンジとこうして10年以上も一緒にいるのは、シンジが本当に優しいからなんだと思う。そしてアタシはそんなシンジが。

そんなとき、部屋に飛び込んできた人物がいた。綺麗な金髪をなびかせて、とてもかわいらしい声で。

「アスカちゃ〜ん、大丈夫? あら、シンジ君、こんにちは」

部屋に入ってくるなりそう言って、シンジに向かって微笑んだ。
これ、アタシのママ。名前を惣流・キョウコ・ツェッペリンという。名前を聞いてわかると思うけど、ママはハーフなの。ドイツ人と日本人のね。だからアタシはクォーターってことになる。ママ譲りの綺麗な金髪と青い目が、アタシの自慢だ。

「今先生にお話し聞いてきたわ。もう、ママびっくりしちゃったぁ。学校から連絡があって、アスカちゃんが病院に運ばれたなんて言うんだもの」

「大丈夫よ。痛みも大分落ち着いたわ。ママも心配性ね。それより先生はなんて? アタシもう帰ってもいいのかしら」

「そのことなんだけどね」

一転、ママは申し訳なさそうな顔になって口を開いた。

「それがね」



「えぇ〜〜〜〜〜〜っ!!! 入院!?」

「そうなの。今日から1週間、アスカちゃんは入院よ」

「なんで? だって手術しなくていいんでしょ? 何で入院なのよ!?」

「だって、ママ、今から出張なんですもの」

??

「それとこれと何の関係があるのよ?」

「怪我してるアスカちゃんを一人置いていくなんて、ママできないわ」

「だからって足以外は健康なんだし、そんな理由で入院させてもらえるわけ」

「そこはママのコネでね」

ママはエヘッと舌を出した。
エヘッじゃないわよ。ママったら。

この病院はママの勤めている研究所の付属病院になっている。
ママは研究所の中では意外と高い地位の人らしく、それを利用して無理を押し通したと言うところか。

「そんなの職権乱用じゃないっ」

「だって、こんなときじゃないとコネなんて使うときないもの」

「アタシ嫌よ。一週間も入院なんて」

「そんなこと言っても、その足じゃ何もできないでしょ?」

「そんなことないわよ。頼めばシンジが助けてくれるわよ。ね?」

「う、うん」

黙って聞いていたシンジは、突然自分の名前を出されて慌てて頷いた。

「ほら。だからアタシは大丈夫よ」

「食事とかはそれでいいかもしれないけど、お風呂はどうするの? ギプスをはめたままひとりでお風呂入るのって、けっこう大変だと思うわよぉ。1〜2週間経って慣れてきた頃なら別でしょうけど。お風呂もシンジ君に手伝ってもらうの?」

そう言ってママがニヤニヤしてる。

「ママっ!! 馬鹿なこと言わないでよ。それはおばさまに手伝ってもらうわ」

「残念ねぇ。今回の出張はユイも一緒なの。だから頼れるのはシンジ君だけだけど、どうする? シンジ君お願いできる?」

そ、それは困る。そんなこと絶対に有り得ない。だってお風呂に入るのを手伝ってもらうってことは、お風呂なんだからアタシは服を脱がなくちゃいけないわけで。服を脱ぐのだって、たぶん手伝ってもらわないといけないわけで。アタシがどんなに隠しても、たぶんきっと見えちゃうに決まってる。幼馴染みなんだからそりゃあ裸のお付き合いも過去にはあったと思うけど、今は事情が違う。アタシもアイツもお年頃なわけで。だからそれは、絶対にできない。
そんな風に頭をフル回転させているアタシの横で、シンジが小さく頷いた。

「は、はい」

消え入るような小さな声で。真っ赤な顔して。もう、馬鹿なんだから。

「アンタも返事なんかしてんじゃないわよっ。まったく。わかったわよ。入院すればいいんでしょ。入院。で、今日からいつまでだって?」

「これでママも安心して出張に行かれるわ〜。えぇっと、今日から一週間だから、そうねぇ。15日までになるかしら?」

ん? 15日? 15日って、2月15日のこと? それじゃあバレンタインデーが、終わっちゃうじゃないっ。

「嫌。やっぱり嫌。やっぱり帰るっ」

「アスカっ。いい加減にしなさい。あなた一人じゃ何もできないでしょ? パパだって今はドイツでいないんだから、家にはアスカ一人になっちゃうのよ。言うこと聞いて大人しく入院しなさい」

「嫌よ。絶対に帰るんだからっ」

「アスカっ!」

「あ、あの、アスカさえ良ければ、僕、その、お手伝いするけど」

「じゃあ、アスカはシンジ君にお世話になるのね?」

「それも嫌っ!」

「じゃあ、大人しく入院しなさい」

「いや〜〜〜っ!!!」


結局、抵抗空しくアタシの入院生活が始まった。
容易に想像できてしまうことが、悲しい。今年のバレンタインデーは最悪だ。



2月14日、バレンタインデー。いつもなら、こんな日はどうってことないただの1日に過ぎなかった。チョコなんかせいぜいシンジにあげるくらいで。
あっ、これはあくまでも”義理”よ。”義理”。いくらシンジでも、ひとつももらえないんじゃ可哀想だし。それにお隣さんだし、幼馴染みだし。毎年あげるのが当たり前みたいになってるから。だから仕方なくあげてるのよ。

今まではそれでよかったんだけど。

それは、シンジの周りにアタシしかいないという状況だから成り立っていたこと。 ところが今年はちょっと事情が違っていた。

昨夏、うちのクラスに転校生がやって来た。名前は霧島マナ。アタシはそうは思わないんだけど、見る人が見ればまあまあ可愛いんだとか。おまけにいつも元気で明るくて、勉強もスポーツもそこそこできる。アタシには全然敵わないけど、アタシが見てもまあまあだと思う。

そのマナが隙あらばシンジにベタベタベタベタ、ベタベタベタベタ。頭にくるったらありゃしない。

「シンジ君て優しいのね」とか、「シンジ君て格好イイ」とか、「シンジ君大好き」とか。

くぅ〜〜〜っ!! アタシのシンジに勝手にくっついてんじゃないわよっ。シンジはアタシのことが大好きなんだからねっ。

ってそうじゃなくて。
とにかくあの女、シンジが好きだということを公言して憚らない。今度のバレンタインデーだってきっと何か良からぬことを考えてるんだわ、きっと。
アタシは何としてもそれを阻止しなくては。
シンジはアタシだけを見てなくちゃいけないんだからっ。シンジはアタシが守ってあげなくちゃいけないんだからっ。

名付けて『天敵マナから’か弱い’シンジを守ろう大作戦!』

ただしこの作戦は、あくまでもさりげなくやらないといけない。アタシがマナの邪魔をするなんてシンジには知られたくないもの。だってそんな作戦をたてること自体、アタシがシンジを好きだって言ってるようなものでしょ。
そんなのダメよ。絶対ダメ。だからこっそりとやらなくちゃいけないの。
なのに、一週間も入院だなんて。入院なんかしてたら何にも出来ないじゃない。もぅっ、アタシのバカっ!!

ここでこうして嘆いていても何も始まらない。何かいい作戦を考えなくては。とは言え、学校にも行けないで一体何ができるんだろう。
アタシは自由に動かせない右足を見て、ガックリと肩を落とした。


トン トン トン


「は〜い」

「アスカ、調子はどう?」

シンジは学校が終わると、毎日病室へやって来た。入院した次の日から一日も欠かさず、今日で3日目になる。シンジなりにこの可哀想なアタシを気遣ってくれているらしい。

「特に変わりナシよ。だってこの足以外は極めて元気なんだもの」

「ハハ。そうだよね。はい。頼まれてた雑誌」

「ん、ありがと」

シンジから受け取った雑誌を、早速パラパラとめくる。
うん。これこれ。これ病院の売店には売ってないのよねぇ。

「他に欲しいものはない?」

「今のところね」

入院てのは、どうしてこうも暇なんだろう。まあそれはアタシが健康の証でもあるから、ありがたいことなんだけど。だけどテレビを見ても本を読んでも、それだけでは消化できない時間がたっぷりあって、することと言えば松葉杖の練習がてら病院内を歩き回ることくらいしかない。
なんか世の中から取り残された気分。学校の様子も知りたいし、何よりマナの様子を探りたい。

普段は口下手なシンジも、病院にいる間はよくおしゃべりをする。退屈しているアタシを想ってのことだと思うけど。突然小テストが行われて惨々な結果だったこととか、相田がマナの写真を隠し撮りしていたことがマナ本人に見つかって追いかけられたこととか、掃除をサボった鈴原のせいでたまたま近くにいた自分もとばっちりを受けたこととか。

それはそれで面白いのだけど、でも、だ。肝心なことが聞けないのだ。それはもちろん、マナの動向について。
シンジの話はいつも3バカトリオ(もちろんシンジを含めて)が中心だから、さっきのように相田が主役の話にマナがゲスト出演することはあっても、マナが話の主役になることはまず有り得ない。この少ない情報からアタシは一体何を探れるというのか。
もしもバレンタインデーが情報戦だとするならば、アタシの負けは決まったようなものだ。

いや、待てよ。そうでもないかもしれない。マナがすでに動き始めているとすれば、 ターゲットであるシンジに何かしらのアプローチがあったかもしれない。上手く聞き出すことができれば。

「ねぇ、シンジ?」

「何?」

「最近、マナに変わった様子はない? 何か言われたとか」

「霧島さん? アスカが霧島さんのことを聞くなんて珍しいね」

「そんなこといいから、何か言われなかった? 話があるとか何とか」

「うん。アスカ、よくわかったねぇ。そうなんだよ。実はね」

やっぱり!! マナのやつ、抜かりないわね。
アタシは思わず息を飲んだ。

「実は?」

「実はとても気になるって」

き、気になるですと!? バレンタインデーを待たずに、早くも告白!? 抜け駆け!? そういえば心なしかシンジの顔が少し嬉しそうに見える。

「気になるんだって」

アタシはその先を想像して、思わずシンジから目を逸らせた。

「気になるみたいだよ。アスカの怪我」

「はっ?」

「アスカの怪我の具合はどうかって聞かれたんだよ。どのくらい入院するの?って。 アスカと霧島さんて、学校じゃあまり仲いいって感じじゃないから、お互いのことをそんなに気にかけてるなんて思わなかったよ。きっと、ケンカするほど仲がいいってやつなんだね」

シンジはそう言って、なんだか嬉しそうにハハハと笑った。

紛らわしい顔すんじゃないわよっ。紛らわしい言い方してんじゃないわよっ。んもうっ、本っ当にバカなんだから。

「それで、なんでそんなに嬉しそうな顔してんのよ?」

「だって、顔見ればケンカしてるアスカと霧島さんが(正確にはアスカが一方的にケンカを吹っかけてる)本当は仲良しだったなんて嬉しいじゃないか」

その的外れな憶測は何なのよ。
アタシはシンジに気づかれないように、小さくため息をついた。
この調子じゃ、シンジがいつマナに言いくるめられてもおかしくない。変なところでプラス思考なんだからっ。

それにしても、マナがわざわざアタシの入院期間を聞いてくるなんておかしい。絶対に何か企んでるに違いない。さて、どうしたものか。
思いあぐねているアタシの元に、一筋の光が差し込んだ。

「アスカ〜っ、調子はどう?」

「ヒカリ!」

神様、仏様、ヒカリ様! 大親友のヒカリがお見舞いに来てくれたのだ。ヒカリにならシンジに聞けないようなことも聞けるじゃないっ。捨てる神あれば拾う神有りって、こういうことを言うのかしら。

「お見舞いに来るのが遅くなっちゃってごめんね。本当はもっと早く来たかったんだけど」

「いいの、いいの、気にしないで」

「でも碇くんが来てくれていたのね。私、お邪魔だったかしら?」

ヒカリはニヤニヤしながら、アタシとシンジの顔を見比べた。

「な、何言ってんのよ、ヒカリ!」

「あっ! あ、あの、僕、ジュースでも買ってくるよ。アスカはオレンジジュースでいいよね? ほ、洞木さんも同じものでいいかな?」

「クスッ。どうもありがとう」

「じゃ、じゃあ、洞木さん、ごゆっくり」

素っ頓狂な声をあげて顔を真っ赤にしながら早口で言うと、シンジは部屋を飛び出した。

「ヒカリったら、あんまりからかわないでよっ」

「ごめん、ごめん」

小さく肩を震わせているヒカリを軽く睨む。

「ところで、アスカはいつ退院できそうなの?」

「15日」

アタシはため息と同時につぶやいた。

「あと少しじゃない。思ったより早く退院できるのね。よかった。って、それにしてはあまり嬉しそうじゃないわね?」

首を傾げたヒカリがアタシを覗き込む。

「うぅっ、ヒカリ〜っ」

アタシは大袈裟に泣きまねをした。

「どうしたのよ、アスカったら」

「だって、15日よ。バレンタインデー、終わっちゃうのよ。アタシの負けはほぼ決定したようなものだもの」

「負けるって、誰に?」

「決まってるじゃない。マナによ」

ヒカリは一瞬キョトンとした顔をして、そしてクスクスと笑い始めた。ヒカリの反応にちょっとムッとしたアタシは、プゥッと頬を膨らませる。

「なんで笑うのよ?」

「そんなこと気にするなんて、アスカらしくもない」

「そんなこと言ったって、マナはいつだってシンジにベタベタしてるじゃない。シンジのことが格好イイとかなんとか言っちゃって。あのマナがバレンタインデーなんていう絶好のチャンスを無駄にするわけないもの」

「それはそうかもしれないけど」

「アタシがこんなところでのんびりしている間にも、マナはきっと何か企んでるに違いないわ」

「ふ〜ん。それで、アスカはそんな霧島さんに負けたくない、と」

「そうよ」

「つまり、アスカは碇君を霧島さんにとられたくない、と」

「そ、そこまで言ってないけど」

「つまり、アスカは碇君のことが大好きだ、と」

「…………」

「どこか、間違ってる?」

今にも笑い出しそうな顔で、ヒカリは真っ赤になったアタシを横目で覗き込んだ。

「ち、違わない」

アタシは蚊の鳴くような小さな声でつぶやいた。

「やっと白状したわね。ふふふ。こうでもしないと、アスカはなかなか認めようとしないんだもの。まあ前から気付いてはいたけどね」

「そ、そうなの?」

「やだ。知らなかったの? クラスでそのことに気付いてないのって、アスカと碇君だけよ?」

そう言いながら、ヒカリは俯いてクスクスと笑った。

みんなにバレてる? アタシがシンジのことが好きだってことが? 思いっきり恥ずかしいじゃないっっ。これからどんな顔して学校行けばいいのよっ? っていうか、アタシってそんなにわかり易い態度とってたの? 気付いてないのはアタシとシンジだけって。シンジってどんだけ鈍感なのよ。
少なくとも、シンジには気付かれてないことをラッキーと言うべきか。

ということは、もちろんマナも気付いてるってことよね? じゃあ日頃のあの態度は、アタシに対する挑戦ってこと? むむっ。これはますます負けるわけにはいかないわ。

「それじゃあアタシのプライドに賭けても、ますますマナに負けるわけにはいかないわ」

「アスカったらまだそんなこと言って。私はアスカが負けるなんてことないと思うけど」

「なんでそんなことわかるのよ」

「だって碇君が好きなのって、アスカでしょ? だからアスカが負けるなんてこと、あるわけないじゃない」

「でもシンジはアタシのこと好きだなんて、言ったことない」

少し拗ねたアタシに向かってヒカリは大袈裟にため息をつくと、

「まったく。碇君がアスカのことを好きだっていうの、知らないのはアスカだけよ」

「そ、そうなの?」

アタシってどんだけ鈍感なのよ。

「だから碇君が霧島さんを選ぶなんてこと、絶対にないと思うわ。んもぅ、二人揃って手がかかるんだからっ」

小さな子供に言い聞かせるように、ゆっくりとアタシに言った。

ヒカリの言う通り、シンジはアタシのことが好きなんだと思う。はっきり言われたことはないけど、ずっと一緒だったから言われなくてもわかるというか。
それはきっとシンジも同じなのかな。だったら心配することない?

でもね、そうはいかないのが恋心。
本人の口から聞くまでは、不安で不安で仕方がない。直接尋ねることが出来たらどんなに楽か。

それが出来ないでいるのは、断られる可能性を考えてしまうから。そして、これからもずっとシンジの傍にいたいから。気持ちを明かしさえしなければ、アタシたちは一生友達でいられるから。それを壊すのが恐いから。
だから今まで言えなかったし、聞けなかった。

「アスカ、自信持ちなさい!」

「でも」

「もぉっ。じゃ、思いきって告白しちゃえば?」

「ひ、ヒカリってば、なんてこと言って」

「だって答えはわかってるんだから、今更悩むことないでしょ」

「でもアタシ入院してるのよ。バレンタインの準備なんかできないわ」

「チョコレートなんかなくたって、大丈夫よ。私が用意してあげてもいいけどそれじゃ意味ないし。それに碇君はそんなことで文句言うような人じゃないでしょ?」

「それはそうだけど」


トン トン トン


「アスカ入るよ」

アタシとヒカリは同時にドアを振り返る。

「オレンジジュース、売り切れちゃってて。りんごジュースでもいいかな?」

申し訳なさそうな顔をして、話題の中心人物が戻ってきた。

「ん。ありがと」

アタシはなんとなくシンジの顔を見られなくて、ヒカリに顔を向けたまま答える。
そんな様子を見たヒカリが、アタシの耳にそっと顔を近づけた。

「報告、楽しみにしてるわよ」

「そ、そんな」

ヒカリは困惑気味のアタシを無視してクルッと振り返る。

「碇君、せっかく買ってきてくれたのにごめんなさい。私そろそろ行かなくちゃいけないから、アスカのことお願いね」

「あっ、うん」

「じゃ、アスカ、また来るわ」

「ちょ、ちょっとヒカリ」

「じゃあね」

「ヒカリってば!!」

アタシに有無を言わせないような口ぶりで、面白いおもちゃを見つけたようなとても楽しそうな顔をして、ヒカリは病室を後にした。

あれ、絶対アタシで遊んでるわ。
でもヒカリの言うことは間違ってないし、反論できない自分が悔しい。

「なんだか楽しそうだったね。何の話してたの?」

「べ、別に何でもないわよ。全然シンジには関係ない話よ。全然関係ないんだからっ」

「そう? ならいいけど」

シンジは首をかしげて微笑んだ。
シンジは帰るまでずっとアタシのそばで微笑んでくれていたけど、アタシはヒカリのせいでなんとなくシンジの顔を正面から見られなくなってて。それでもいつものように穏やかに時間が流れていた。「また明日ね」と言って、シンジが部屋を出て行くまでは。


それからが大変だった。誰もいない病室で、ひとりでなんだかアタフタしてしまって落ち着かない。明後日のバレンタインデーまでに、シンジに思いを伝える方法を考えなくてはいけないのだから。

付き合いが長いからこそ、なかなか素直に「好き」とは言いにくい。二人の間に今まで感じたことのないヘンな緊張感が漂うことにも、耐えられそうにない。
その微妙な空気を察知して、気の弱いシンジが逃げ出すこともあり得る。
へんに畏まらないで、自然に伝える方法は何かないかしら。

アタシの出した結論。それはズバリ『手紙』。つまりラブレターってことね。古典的だけど確実で、アタシの恥ずかしさも緊張も最小限に抑えられる気がするからだ。
帰り際に渡して、家に帰ってからゆっくり読んでもらえばいい。
もし断られるようなことがあっても、その場で一刀両断されるよりは後でやんわりと断りを入れてもらったほうが、傷も大きくならずに済むような気もするし。

残された時間は、明後日にシンジが病院へ来るまでの約1日半しかない。
この間に推敲に推敲を重ねて、シンジが感動しちゃうようなラブレターを書かなくてはいけないのだ。

それから寝るまでの時間と翌日のほとんどの時間を、アタシは紙とペンを握り締めて過ごした。書いては破り、書いては破り。初めて書くラブレターというのは国語の授業で書く作文とは違ってとても難しいものだった。手紙ひとつ書くのにこんなに苦労するなんて。
でもこれを書きながら思うのだ。
「好き」だということを伝えるためだけの手紙なのに、こんなに一生懸命になって文章を考えているアタシは、きっとすごくシンジのことが好きなんだなって。
だって、どうでもいい人に出す手紙だったら、きっと5分で書き終わってる。
こんなことで気付くのもなんだけど、シンジはアタシにとって大切な人なんだ。だからこそ、この手紙で躓くわけにはいかない。

こっそりとヒカリに持ってきてもらったレターセットに清書をする。
何度も何度も見直して、全部書き終わったときには13日の夜遅く。消灯時間をとっくに過ぎて日付が変わろうとしていた頃、アタシはアタシの想いがいっぱい詰まった手紙を枕元に置くと、胸の前で手を合わせた。


どうかアタシの想いが届きますように。


続く...







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