「じゃ〜ん。シンジ、どう? 似合う?」

部屋から出て来て得意そうにクルッと一回転したアスカに、僕は目を奪われた。なぜなら、アスカのこんな姿を見るのは初めてだったから。
アスカが僕にどうかと尋ねたのは、自分が着ている浴衣のことだ。大きめの花模様が描かれたワイン色の浴衣と黄色い帯が、アスカの白い肌によく映えた。
僕は迷わずに答える。

「わぁ。アスカ、よく似合ってるよ。すごく綺麗だよ」

浴衣姿は、どこか非日常を感じさせた。そのせいなのかわからないけど、僕はさっきからずっとドキドキしている。もしかしたら顔も赤くなっているかもしれない。僕の赤い顔を見たらアスカは何て思うだろうか。アタシに見とれちゃってるのね、なんて思うかもしれない。「それでもいいか」なんて薄ぼんやりと考えながら、それでも尚アスカに目を奪われていた。

「ちょっと、そんなに見つめられたら恥ずかしいじゃないのよっ」

「あっ、ごめん。でもあんまり良く似合ってたから」

自分でどうかと聞いておきながら、僕の誉め言葉に顔を赤くしている。そんな風に恥じらうアスカもとってもかわいいと思う。思わず抱きしめたい衝動に駆られたそのとき、アスカの背後からミサトさんがひょこっと顔を出した。

「お二人さん、ここでイチャイチャするのもけっこうだけど、早く行かないと花火始まっちゃうわよ?」

アスカの浴衣を着付けてくれたのはミサトさんだったんだ。危うくミサトさんの前でアスカに抱き着いてしまうところだった。危ない。危ない。
リビングのデジタル時計は、もう少しで18:30になろうとしていた。

「うっそー、もうこんな時間なの? シンジ、急ぎましょ」

「うん」

僕はソファから立ち上がると、アスカの隣に並んだ。

「ミサトさんは一緒に行かないんですか?」

僕の問いに、ミサトさんはブーッと唇を突き出すと、

「リツコから呼び出しよ。今からネルフに行って来るわ。花火とビール、楽しみにしてたんだけどねぇ。まあ、ついて行ったところで二人のお邪魔みたいだけど」

ニヤニヤしながら僕とアスカの顔を見比べた。

ふふ。確かにそうかも。ミサトさんには悪いけど、今日の僕はこのかわいいアスカを独り占めしたくてたまらない。

「そうよ。ミサトがいたらお邪魔よ」

「くぅ、ハッキリ言ってくれるわねぇ。まあいいわ。せっかくだから二人で楽しんでらっしゃい。帰り道は十分気をつけるのよ」

「心配しなくても大丈夫よ。シンジも一緒なんだから。じゃ行って来るわよ」

それだけ言うと玄関に向かってズンズン進むアスカを、僕は慌てて追いかけた。

「ミサトさん、行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

背中にミサトさんの声を聞きながらリビングを飛び出す。だが玄関にアスカの姿はない。僕は大急ぎで靴を履くとマンションの廊下に出た。アスカは早くもエレベーターを呼び出して待っているところだった。

「ちょっと待ってよ、アスカ」

「もぅ。早くしないと、花火、始まっちゃうじゃないっ」

「そんなに急がなくても大丈夫だよ。花火は19:30からだし、ここから花火大会の会場までは30分くらいなんだから」

「でも夜店っていうの、ゆっくり見たいのよ。いろいろなお店があってすごく楽しいってヒカリが言ってたもの」

「そうだね。アスカは日本のお祭り初めてだもんね。いろいろ見て回ろうね。あっ、エレベーター来たよ」

ガタンと音立ててエレベーターが開くと、先にアスカが乗り込み僕が後に続いた。僕がエレベーターに乗ってから数秒後、再びガタンと音を立ててドアが閉まった。

僕はもう一歩前に足を踏み出すと、エレベーターの奥で階数表示を見上げていたアスカをなんの躊躇いもなく、ごく自然に、正面からギュッと抱きしめていた。

「ちょっ、ど、どうしたの?」

「だって、アスカがあんまり可愛いから」

突然のことに顔を赤くしているアスカを無視して、僕は抱きしめている腕にさらに力を込めた。強く抱きしめたせいで、アスカのやわらかな胸がつぶれて僕と密着する。 少しだって離れていたくない。

だって、どうしようもなくかわいかったんだ。見慣れぬ浴衣姿で髪をまとめ、少し頬を赤らめたアスカに、さっきからドキドキして止まらないんだ。ほら、こうして抱きしめている間も君は目をウルウルさせて、僕にしっかりとしがみついてくる。こんなかわいいアスカを離せるわけがないじゃないか。

「シンジ、もう着くよ」

小さくつぶやいたアスカの声とほぼ同時に、エレベーターがチーンと音をたてた。
僕は名残惜しそうにアスカから身体を離すと、右手をアスカの左手に絡ませる。今は一秒だって離したくない。今日の僕は珍しく感情に流されていた。まるで何かの魔法にかかったみたいに。



「わぁ、すごい人ね」

アスカが驚きの声をあげた。第三新東京市にはまだこんなに人がいたんだと驚くほど、多くの人で賑わっている。

花火会場は第三新東京市の外れにある河川敷だった。草むらに座って夜空を見上げている者、夜店で買い込んだ飲食物で腹ごしらえをしている者、水際ではしゃいでいる子供達。みんな思い思いに時間を潰しながら、花火が上がるのを今や遅しと待っていた。
その河川敷沿いの舗道には、かなりの数の夜店が軒を連ねている。空の色はどんどん黒味を増して行くというのに、夜店が並んでいるその舗道だけは、まるで昼間に逆戻りしてしまったかのような明るさを放っていた。

「ねえ、まだ花火始まらないわよね?」

「うん。まだ30分ちょっとあるよ」

「じゃ、早速、夜店とやらを見に行こうじゃないの」

「そうだね。じゃあ、こっちの端から向こうの端まで歩いてみようか」

人の波に呑まれてしまわないように、僕は繋いだ手に力を込めてアスカを引き寄せた。アスカは好奇心いっぱいのその目をキラキラさせている。そんなアスカの姿を、通り過ぎていく多くの人が振り返った。金髪に青い瞳のアスカはそれだけで十分目立つ存在ではあったが、浴衣という特別な装いがさらに人々の視線を集めた。それも僕には至極当然のことのように思えた。今日のアスカは、本当に魅力的だったから。 そして、そんな素敵な娘が『僕のアスカ』であることが、何よりも嬉しい。

「ずいぶんいろんなお店があるのね。どこから見ようかしら。そうね」

キョロキョロと辺りを見回していたアスカが、パッと顔を輝かせた。何かに目を付けたようだ。僕の腕をグングンひいて歩き出した。


一発目の花火が、爆発音を伴って夜空に大きな華を咲かせるまでのおよそ30分、アスカは精力的に夜店を見て回った。夜店を巡るのに精力的にという言い方もおかしいが、でもアスカのお店の巡り方は、それ以外に言い表し方が見つからないくらいやる気十分だった。りんごあめに始まり、射的にヨーヨー釣り、当てクジもしたし、輪投げだってやった。中でもアスカが一番夢中になったのは、金魚釣りだった。ドイツ育ちのアスカには、日本の金魚そのものが珍しいらしい。しかもそれを網ではなく薄い紙を張っただけの物で掬うとは。
「こんなんで魚が捕れるわけないじゃない。」なんて言っていたが、目の前の小さな女の子が自分の椀に2匹目を掬い上げたのを見て、アスカの負けず嫌いに火が点いた。
しかしポイをむやみに泳がせては破り、無駄に沈めては穴を開け、少なくとも5回は挑戦していたけど、結局一匹も掬えず仕舞い。それでも金魚掬い屋のおじさんからビニール袋に入った赤と黒の2匹の金魚を受け取ると、それを満足気に眺めた。

「この子たちの水槽を用意してあげなくちゃね」

金魚の入った袋を顔の高さまで持ち上げて、アスカが言う。2匹の金魚が泳ぐ袋の中の水は、夜店の明かりに反射してキラキラとした光を放っていた。

金魚を眺めていた僕とアスカの頭上が一瞬明るくなった。
その1〜2秒後に遅れて届いた「ドーン」という爆発音に僕たちが慌てて夜空を見上げると、ちょうど一発目の花火がチリジリと暗闇に溶けていくとこっろだった。

「あっ、始まったわ」

「うん。河原に下りようか」

「ちょっと待って、あと綿菓子を買うから」

「えっ、まだ買うの?」

「あと綿菓子だけよ。すぐに萎んじゃうから、最後に買おうって決めてたのよ」

「さっきりんごあめも食べたのに?」

「それはそれ。これはこれよ。コットンキャンディーは特別なのっ」

アスカの言い分に苦笑いしながら僕たちはもと来た道を引き返し、綿菓子屋さんを探す羽目になったのである。それにしても、女の子というのはどうしてこうも甘いものが好きなのだろうか。

幸い、花火が始まったために夜店の見物客はまばらで、綿菓子屋はすぐに見つかった。
顔より一回りも大きな綿菓子を手に入れたアスカは、とても嬉しそうに親指と人差し指で綿菓子をつまむと、それを口に放り込んだ。

「う〜ん、おいしい」

2〜3度パクパクと口に入れると、次の一つまみを僕の顔の前に差し出した。

「はい。アーンして」

「えっ、いいよ。僕、自分で食べるから」

夜店が途切れた少し陰になった場所とは言え、一応公衆の面前だ。こんな場所で「アーン」なんてやるのは、どうしても恥ずかしい。
しかしアスカが夜店で手に入れた当てくじの景品(大きなぬいぐるみ)やら、金魚やら、他にも射的の景品(こちらはバルーンだった)などを抱えていた僕は、実際のところ自分で綿菓子をつまんで口に入れるということは、かなり難しかった。それを十分にわかった上で、アスカはわざと言っているのだ。

「自分じゃ食べられないでしょ。だから、アーンして」

「いいってば。僕はいいから」

「だ〜め。シンジにも食べて欲しいの。ね。お願い」

アスカ、それは卑怯だよ。そんなかわいい顔でお願いされたら、僕が断れるわけないの知ってるくせに。上目遣いで僕の瞳を覗き込んでいるアスカを見ていたら、なんだかもう。あぁ、ダメだよ。そんなかわいい顔して、僕を見ないでよ。アスカを抱きしめたくてたまらなくなるじゃないか。

でも山のような荷物を抱えた僕に、それはできない。まさかアスカを抱きしめるために、荷物を放り投げるわけにもいかないし。何よりも、アスカの戦利品を放り投げたりしたらアスカに怒られる。

仕方がないので、アスカの「アーン」を受けることにした。
僕はキョロキョロと辺りを見回して僕たちの方を見ている人がいないことを確認すると、口を小さく開けた。

「ダメ。もっと大きく口開けて」

僕はやけくそになって、大きく口を開ける。口に入ってきた綿菓子は、あっという間に溶けて消えた。形はなくなっても、砂糖の甘さは口いっぱいに広がったまま。僕はその余韻に浸っていた。

「おいしい?」

「うん。おいしい」

アスカは嬉しそうに綿菓子を千切ると、再び僕の顔の前に差し出した。

「もう一回。アーンして」

僕はもう躊躇わなかった。こうなったら2回でも3回でも同じことだ。僕は調子に乗って綿菓子をつまんでいるアスカの指ごと口に含んだ。アスカの体温で溶けた綿菓子が、アスカの指に張り付いていた。少しザラザラした塊となっているそれを、僕は舌で舐め取る。

「あっ」

突然のことに驚いたアスカが声を上げた。僕は気づかないふりをして、さらにアスカの指を強く舐める。

「あん、ちょっ、シンジ」

チラッとアスカを盗み見ると、顔を真っ赤にして僕の口許を見つめていた。からかうつもりはなかったけれど、そんなアスカの様子を見たらなんとなく満足して、僕はアスカの指を解放した。

「さ、花火を見に行こう」

僕が促すと、アスカは小さくうなずいた。アスカは尚も自分と僕の口に交互に を放り込みながら、時には微笑んで歩く。どこかに腰掛けようと土手の階段を下り始めたそのとき、

「きゃっ!!」

声を上げるのと同時に僕の肩が急に掴まれた。僕が慌ててアスカを振り返ると、アスカが僕の左肩を強く掴んでいる。

「どうしたの!?」

驚いてたずねた。

「草履が滑っちゃったのよ。あぁ、ビックリした」

履き慣れない草履に、足を取られたらしい。階段で転倒、なんてことにならなくて本当に良かった。と思ったんだけど、アスカにとってはそうでもないみたいだ。

「綿菓子、落っことしちゃった」

足元を見ると僕の斜め前に、おそらく驚いた拍子に放り投げられたであろう綿菓子が、土まみれになって転がっていた。

「まだ半分も食べてないのに」

アスカは本当にがっかりした様子で、恨めしそうに綿菓子を見つめている。そんなアスカがなんだか気の毒になってもうひとつ買いに行ってあげようかとも思ったが、僕はそうはしなかった。
その代わり、アスカを土手の脇にある大きな木の陰へ連れて行った。

「ねぇ、この木が邪魔で、花火見えないわよ?」

「いいんだ」

そんなことわかってる。だから、ここに連れて来たんだから。だってこんな花火に背を向けているような場所には、誰も来ないだろ? それに、ここなら僕も恥ずかしくない。

「ねぇ、なんでこんな場所なの?」

「アスカに綿菓子、あげようと思って」

「何言ってんのよ。綿菓子、落としちゃったんだから買ってこなくちゃ食べられないのよ?」

「特別な綿菓子だから、いいんだ」

「特別?」

「そう。特別。アスカ、口開けてみて?」

「口?」

「そう。いいから、口開けてみて」

アスカは意味がわからないという顔をしながらも、僕の指示にその小さな可愛い唇を少しだけ開く。

「ダメ。もっとだよ」

「もっと?」

「そう。もっと」

少しだけ困った顔をして、アスカが大きく口を開いた。その瞬間、僕はアスカに顔を近づけてアスカの大きく開いた口を塞ぐようにキスをした。

「ん、んっ」

驚いたアスカが目を丸くして、飛び退こうと大きく仰け反る。でも僕は離さなかった。手に持っていたぬいぐるみごと、アスカを強く抱きしめる。

「んふぅ」

お互いの唇の隙間からアスカの声が漏れる。そんなことにかまわずに、僕は舌を伸ばしてアスカの全部を味わうようにキスをした。そして僕はゆっくりと顔を離すと、強く抱きしめていた腕を少しだけ緩めた。

「甘い」

アスカがつぶやいた。

「綿菓子の味、した?」

「うん。した」

アスカは顔を上げて、クスッと笑う。

「ねぇ、綿菓子、もっと、ちょうだい?」

「どうぞ」

僕もクスッと笑うと、再び唇を重ねた。それから、何度も何度も。綿菓子の味が消えてなくなるまで、二人で何度もキスをした。

僕はもう花火のことなんか忘れていた。花火よりアスカを見ていたかったんだ。可愛くて可愛くて、これ以上ないくらい魅力的なアスカがいけないんだ。アスカがそばにいると、僕が僕じゃないみたいに感情に流される。なんでこんなに熱くなるんだろう。なんでこんなに愛しいんだろう。

アスカを見てるだけで幸せで、アスカのことを考えるだけで切なくて。アスカを抱きしめたくなって、キスしたくなって、どうしようもなくなって。本当にもう、止まらなくなるんだ。

今日は一日ずっとそんな風だった。アスカが浴衣姿で僕の前に現れたときから、僕は魔法にかかっていたのかもしれない。恋人同士だけがかかる、恋の魔法。こんな魔法なら、かかるのも悪くない。僕は魔法が解けないように、アスカを強く抱きしめた。

そんな僕たちを無視して、花火はひっきりなしに盛大な音を響かせている。花火はまだまだ始まったばかりだ。


...終



あとがき

予告どおり、綿菓子の甘いお話でしたw
甘かったでしょうか? もっと甘くても良かったかな?
とりあえず、早めに公開できてよかったです。
急がないと花火の季節、終わっちゃいますからね。

次回の作品でもみなさんにお会いできますように。




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