あれは確か雪の降りそうな日。グレイの雲が空いっぱいに立ち込めた、そんな夜だったと思う。カーペットに転がって絵を描いていたアタシを、ママが呼んだ。
「私のかわいいアスカ、こっちへいらっしゃい」
「なに? ママ」
大好きなママに呼ばれたアタシは、いそいそと駆け寄る。
「ずいぶん冷え込んで来たわね。さぁ、ここへ」
ママはひょいとアタシを抱え上げ、自分の膝の上に乗せたアタシを抱きしめた。アタシだけの、アタシ専用の、特等席。ときどきママの長い髪がアタシの頬や肩をくすぐるけど、ふんわりと香るママの匂いが心地良い。
「明日はクリスマスね。アスカはサンタクロースに何をお願いしたの?」
「アスカね、ぬいぐるみをもらうの。かわいいおサルさんの」
「そう、とても素敵なお願いだわ。ちゃんと届けてもらえるといいわね」
「うんっ。ママはなにをおねがいしたの?」
アタシは、アタシを抱きしめるママの腕にもたれながら聞いた。
「ママ? ママはね、アスカのお願いを叶えてあげてくださいってお願いしたわ」
「それじゃあ、ママはなにももらえないじゃない」
「そんなことないわよ。だって、プレゼントをもらって喜ぶアスカの笑顔が見られるもの。ママにとっては何よりのプレゼントだわ」
そう言って、ママはアタシの頭に頬を擦り付けた。アタシはママの胸に寄り掛かりながら、首を反らせてママを見上げる。
「ねぇ、ママ?」
「なぁに?」
「サンタクロースは、いつプレゼントをはこんできてくれるの?」
ママはにっこり笑うと、
「アスカが夢を見ている間に、こっそりと届けてくれるのよ。あのツリーの木の下にね」
そう言って、我が家の自慢の大きなクリスマスツリーを指差した。パパの背よりも大きな、本物のモミの木。色とりどりのオーナメントや電飾でキラキラ光るツリーは本当に綺麗で、まだ小さかったアタシには、それを飾り付けるパパとママが、まるで魔法使いのように見えた。アタシは一生懸命に身体を捻って、ママの正面を向く。
「それじゃあ、アスカはサンタクロースに『ありがと』がいえないわ」
「そうね。その代わりに、クリスマスイブの晩はテーブルにミルクとビスケットと人参を用意してから眠るのよ。プレゼントを運び疲れたサンタクロースが休憩できるように」
「サンタクロースはにんじんがすきなの?」
「サンタクロースも人参が好きかもしれないわね。でも今日用意する人参はトナカイのためなの」
ママは笑いながらアタシの頬をムニムニとつまんだ。
「じゃあ、サンタクロースとトナカイのおやつを用意しましょうか」
「うん!」
遠くからアタシを呼ぶ声がする。何度も何度も同じことを言うその声の主に向かって、アタシはいつものように形ばかりの返事をした。
「もう起きてる〜」
片目も開けないアタシがすぐ起きられるわけもなく、気付いたときには声はとても近くなっていて。
「アスカ、入るよっ」
ガラッと襖を開けて、シンジが部屋に入って来た。まだ目はつむったままだけど、気配でわかる。
「アスカ、いい加減に起きないと、遅刻するよ」
「わかってるわよぉ。今起きるから」
「食事の準備はできてるから、早く支度してよ」
「は〜い」
アタシは両手をついてのっそりと起き上がると、両手で自慢の金髪をクシャクシャにかきむしってそのまま前のめりにポフッと枕に顔を埋めた。まだ頭がフワフワしてる。完全に目が覚めてしまう前に、薄ゆく夢をもう一度反復する。
ママの夢。久しぶりに見た、ママの夢。アタシの夢に出て来るママはいつだって優しいママ。辛い思い出しかないあの頃のママは、決して夢には出て来ない。アタシの心が知らない内に拒絶しているのかもしれない。
ドイツにいた頃はよく見たママの夢も、日本に来てからは全然見なくなってたから、だからママに会ったのは本当に久しぶりのことだった。
ママが亡くなったとき、アタシはまだあまりにも幼かったから、だからアタシが覚えているママとの思い出はほんの少し。おサルのぬいぐるみはママと過ごしたクリスマスの数少ない思い出だったのに、アタシはそのぬいぐるみさえも壊してしまった。
あのぬいぐるみを大切にしていたら、ママを鮮明に思い出すことができたのだろうか。
「アスカ〜!」
「今行く〜」
何度目かのシンジの呼び声に、アタシはようやくベッドを下りた。
う〜ん、いい香り。我ながら今日も上出来だ。僕は弱火でコトコト煮込んだビーフシチューを、焦げ付かないようにお玉で静かに掻き交ぜる。
鍋の様子を見ながら、合間に手早くサラダを作って皿に盛りつけた。
「おっ、今日はビーフシチューね。う〜ん、いい香り」
クンクンと鼻を鳴らして、ミサトさんが早々にテーブルに着く。もちろん片手にはビール。それをいつものように豪快に喉に流し込む。僕はそんなミサトさんを横目に見ながら、チーズや和え物といったおつまみになりそうな物をいくつかテーブルに並べた。
「いつも悪いわね〜、シンちゃん」
「飲み過ぎないでくださいよ」
「わーってるって」
手をヒラヒラさせながら、わかってるんだかわかっていないんだかそんな返事をしたミサトさんを見て、僕はやれやれと微笑んだ。
この家に来てから、飽きもせずに何度も繰り返されるこのやり取り。初めはミサトさんのだらし無さに呆れて言っていたけど、今はちょっとニュアンスが違うかな。少し心配が混ざってるかもしれない。身体に気をつけてくださいって。
僕はキッチンに向き直ると、再び鍋を掻き交ぜた。
「ねぇ、シンちゃん?」
「何ですか?」
「今日のアスカ、ちょっとヘンじゃなかった?」
「?」
お玉を手に持ったまま振り向いた僕に向かって、ミサトさんが手招きする。ミサトさんは洗面所にチラッと目を遣ってアスカが風呂から上がって来ないことを確認すると、僕をイスに座らせた。
「アスカがどうかしたんですか?」
鍋が気になるけど、アスカの話を切り出されては耳を貸さないわけにはいかない。
「さっきね、アスカに聞かれたのよ。思い出のクリスマスプレゼントはあるか? って」
「それで?」
「だから言ったの。『セカンドインパクトがあったから、残ってる物は何もないわ』って。そうしたらね」
ミサトさんが小声でしゃべるので、釣られて身を乗り出した。
「私から両親にクリスマスプレゼントをあげたことはあるかって。隠すことでもないから正直に言ったの。『一度だけ母にマフラーをプレゼントしたことがあるわ。
あの頃はまだ冬があったから』ってね。そうしたら『そう』ってそれだけ言って、ひどく暗い顔して。何かあったのかしら? シンちゃん、心当たりない?」
「実は僕も」
同じことを聞かれたのだ。学校の帰り道、アスカはいつになく無口で。何か怒ってるのかなぁと様子を伺っていたら、前を歩いていたアスカが突然振り返った。
「ねぇ」
「なに?」
怒られるとばかり思っていた僕は、急なアスカの呼び掛けに思わず立ち止まった。
立ち止まった僕を見て、アスカはツツッと僕の目の前に歩み寄る。
「いちばん思い出に残ってるプレゼントって、何?」
「プレゼント?」
「クリスマスプレゼントよ」
「う〜ん」
僕は考えるようなそぶりをしたけど、答えなんか最初から決まってる。
「別にないよ」
そうなんだ。僕には楽しかったクリスマスの思い出なんかない。母さんがいた頃は、楽しいクリスマスを過ごしたのかもしれないけど、僕は全然覚えてないから。だから当然プレゼントの記憶もない。
僕の答えが期待外れだったのかそれとも想像通りだったからか、アスカは「ふ〜ん」とだけ言うと再び僕の前を歩き始めた。僕は少し遅れて後を追った。
それからも、やっぱりアスカは黙ったまま。でも僕たちは並んで歩いた。そしてマンションが見えるところまで来たとき、再びアスカが口を開いた。
「シンジはお母さんに何かプレゼントしたことある?」
今度は立ち止まらずに、僕は歩きながら答える。
「ないと思う。母さんが死んだとき、僕はまだ小さかったから。子供なりに何かあげたこともあるかもしれなけど、でも覚えてない」
「そうよね。覚えてるわけ、ないわよね」
「アスカにはあるの? 思い出のプレゼント」
アスカはとても遠い目をして、そして呟いた。
「ぬいぐるみ」
「ぬいぐるみ?」
「サンタクロースにお願いしたの。おサルのぬいぐるみをくださいって」
「それがいちばんの思い出のプレゼント?」
「いちばんってわけじゃないけど、でも、それしか覚えてないから」
「そのぬいぐるみは、今も持ってる?」
「ううん。捨てちゃったから」
アスカは少し寂しそうに微笑んだ。
「ふ〜ん、アスカがそんなことをねぇ」
黙って僕の話を聞いていたミサトさんが、口を開いた。ミサトさんにしては珍しく神妙な顔で。そしてグイッとビールを煽ると、イスの背におもいっきり体重をかけて天井を見上げた。
僕は急にそんなことを言い出したアスカの意図するところが全然わからないんだけど、でもミサトさんはなぜかとても納得した顔でひとり頷いて「よしっ、私に任せて!」とても自信有り気にそう言って、軽くウインクした。ミサトさんには、わかっていたのかもしれない。アスカがどうしてあんなことを言い出したのか。もしかしたらミサトさんも似てるのかもしれない。アスカにも、僕にも。
ガチャッ、バタン、ドサッ
「シンジく〜ん、アスカ〜、ちょと手伝って〜!!」
部屋で雑誌を読んでいたアタシの耳に慌しい物音が聞こえてきた。どうやらその発信源はミサトらしい。帰ってくるなり騒々しいったらありゃしない。おまけに大きな声で呼ばれてるし。どうせシンジがすぐに返事するに決まってるから、アタシは気づかないフリを決め込む。
「おかえりなさい。どうしたんですか?」
思った通り。襖の向こうから、シンジの声が聞こえた。
「は〜や〜く〜ぅぅぅ」
「何ですか、これ?」
「いい物よ」
ドスドスという足音から察するに、何やら重たいものを運んでいるらしい。ミサトったら何を始めようっていうのかしら。
「アスカ〜、ちょっとこっち来て〜!」
荷物を運び終わったらしいミサトが、アタシを呼んだ。名指しじゃ仕方ない。アタシは渋々顔を出す。
「何よ。騒々しいわねぇ」
そこにはリビングを占領するほどの箱やら紙袋やら、なんだかたくさんの荷物が置かれていた。ミサトの荷物のせいでリビングが物置になるなんて冗談じゃない。アタシは抗議の声を上げる。
「ちょっ、何よこれ。これじゃ、座る場所もないじゃない」
「いいから、いいから。さ、みんなで開けるわよ」
アタシの抗議を無視してひとりで楽しそうなミサトを、横目で睨んだ。
「ミサトが買ってきたんだから、ミサトが開ければいいじゃない」
「そうはいかないわ。これはみんなの物だもの」
勝手に買ってきたくせにみんなの物だなんて。シンジはどうしているのかと見ると、シンジもなんだか苦笑してる。アタシは肩を竦めると、いちばん大きな箱に手を伸ばした。
1mくらいの細長い箱。しかも結構重たい。アタシはしっかりと留められていたテープを、容赦なくバリバリと剥がした。
ミサトが大騒ぎしながら持って帰ってきたその大きな箱の中身。手を入れると、なんだかチクチクする。箱から取り出したそれは、緑色の大きな組み立て式のプラスチック製のクリスマスツリーだった。
「これ」
「クリスマスツリーよ」
驚いて顔を上げたアタシに向かって、ミサトがウインクした。
「ずっとひとり暮らしだったからクリスマスツリーなんて飾ったことなかったけど、今年はシンジ君もアスカもいることだしみんなで飾ったら楽しいでしょ? ね、シンジ君?」
「はいっ」
そう聞かれたシンジは、とっても嬉しそうな顔をして。気のせいか目が輝いている気がする。シンジは、もしかしたらクリスマスツリーなんて飾ったことがないのかもしれない。シンジの生い立ちを思えば容易に想像できること。
「ミサトさん、こっちの紙袋も開けていいですか?」
「もちろん」
シンジがあんまり嬉しそうだったから、シンジがとっても楽しそうだから、アタシがそれを嫌がる理由なんてない。みんなでツリーを飾ってできたツリーを囲んで、みんなでクリスマスを祝う。そんなありきたりのクリスマスも悪くないかもしれない。だってシンジと一緒なんだもの。シンジが一緒なら、アタシは何だって嬉しい。
アタシは近くの紙袋にも手を伸ばした。袋にぎっしりと詰まっていたのは、たくさんのオーナメント。そのひとつを手にとって光にかざす。夏の日差しはクリスマスツリーにはあまりにも不似合いだ。でも強い光がオーナメントにぶつかってリビングいっぱいに反射するのを見るのは、心が弾んだ。
三人で大騒ぎしながら作ったクリスマスツリーは、完成するとミサトの背丈ほどもあってなかなか立派なものだった。ミサトの選んだオーナメントには何の統一性もなかったからゴチャゴチャしていたけど、それはそれでアタシたちらしくていいと思う。
それなのに。
「本物のもみの木じゃないから、こんなものかしらね」
アタシの口から出たのは、そんな憎まれ口。ホント、可愛くない。
「そう? 僕はすごく綺麗だと思うけど」
シンジは自分たちで作ったクリスマスツリーを、ウットリ眺めてる。
「うん。いいじゃない。買い物をしてきたアタシのセンスがよかったのね」
なんてミサトも満足そうな顔をして。でも確かに、綺麗かも。そりゃそうよ。だってアタシたちのツリーなんだもの。世界でたったひとつの、アタシたちだけのクリスマスツリーなんだから。
それはクリスマスイブの夜のできごと。布団に入ってもなかなか寝付けずにいた僕の耳に、リビングのドアを開ける音が聞こえた。誰かも僕と同じようになかなか眠れないでいるらしい。ホットミルクでも飲もうと、僕はリビングへ向かった。
ところがリビングは真っ暗なままで、窓から差し込む月明かりに目を凝らすとソファの背もたれから小さな頭が覗いているのが見える。
「アスカ?」
伺うようにたずねると、小さな頭がゆっくりと振り向いた。やっぱりアスカだ。
「こんな暗いところでどうしたの? 電気つけようか?」
「いい。つけなくて」
アスカが小さく首を振った。ここからはアスカがどんな顔しているのかわからないから、僕はアスカの顔が見える場所に回りこんだ。
月明かりに照らされたアスカは、本当に綺麗だ。白い肌は大理石のように艶やかで、青い瞳はまるで宝石のようだった。僕は思わずアスカに見とれる。本当に綺麗だ。
手を伸ばして、その艶やかな頬に触れようとして、僕はようやく気が付いた。アスカのその寂しそうな瞳に。
一点に注がれるその視線の先には僕たちが作ったクリスマスツリーがあって、アスカはそれをボーっと眺めながら心ここにあらずといった表情をしている。僕は静かに近づいてアスカの隣りに腰を下ろした。
どのくらい経ったのだろうか。僕もアスカも口を開かずに、ただただツリーを眺めた。チカチカと光る七色のライトを眺めるのはとても心地よくて、ずっとこうしていたい気分になる。それはもちろん、アスカが隣りにいるからというのもあるけど。
そんなことを考えていた僕は、ふと視線を感じて顔を上げた。アスカが僕をじっと見てる。
「ん?」
微笑んでアスカを見ると、アスカも少しだけ微笑んで再びツリーに視線を戻した。
「子供の頃、うちにも大きなツリーがあったの。パパの背よりも大きな、本物のもみの木よ。とっても綺麗で、アタシの自慢だった」
アスカがポツリと話し始めた。アスカが子供の頃の話をするなんて初めてだったから、僕は静かにそれに耳を傾けた。
「はっきりとは覚えていないんだけど、たぶんママと一緒に過ごした最後のクリスマスイブだと思う。ママがアタシを自分の膝の上に座らせて、おしゃべりして。
アタシはまだ子供だったからサンタクロースを信じていて、サンタクロースにお願いしたことは何でも叶えてもらえるって信じてたから、だからアタシはママに聞いたの。ママはサンタクロースに何をお願いしたの?って。そしたらね」
アスカは自分の横顔を見つめる僕をチラッと見て、そして続けた。
「『アスカのお願いを叶えてくださいってお願いしたわ』って。アタシが、それじゃあ何ももらえないじゃないって言ったら、ママは『アスカの笑顔を見ることがいちばんのプレゼントだからいいのよ』って。そのときはわからなかったけど、今になってやっとその言葉の意味が少しだけわかる気がするの」
アスカが天井を仰いだ。
「ママはアタシのことを、愛していてくれたんだって。そして、アタシも同じくらい、ママが大好きだったの。でもそのときのアタシはとても小さくて、アタシはママに何もしてあげられなかったから……何かしてあげたかった。ママが喜ぶようなこと、たくさんしてあげたかった。ママが生きてたら、ママは何を欲しいっていうかな。何をプレゼントしたら喜んでくれたかな?」
アスカの寂しそうな瞳の意味がわかった気がした。この前話していた思い出のプレゼントの意味も。
僕もアスカと同じだから。母さんとの思い出はほんの少ししかなくて、年々その思い出も遠くなっていく。消えそうな思い出を辿るために物に頼らなくては思い出せないものも増えていく。
僕にはほとんどないクリスマスの思い出が、アスカにほんの少しでも残っているなら、それを大切にしてあげたい。でも僕にはどうしていいのかわからなくて、僕はソファに無造作に置かれていたアスカの手を取って指を絡めた。
アスカの手がとても冷たかったから、繋いだ手にギュッと力を込める。今の僕には、このくらいのことしかしてあげられないけど。
「お母さんはきっと、何もいらないって言うと思うよ」
アスカが僕を振り向いた。
「だってお母さんはアスカのことが大好きだったんだから。アスカが傍にいることが何よりも幸せなことなんだったと思うから」
アスカのお母さんには会ったことがないけど、僕には確信があった。アスカのことが大好きなお母さんなら、きっとそう言うに違いないって。だってもし僕が同じことを聞かれたら、僕は間違いなくそう答えるから。
「アスカのことが大好きだったお母さんは、プレゼントを喜ぶアスカの笑顔が何より嬉しかったんだと思うんだ。だからプレゼントなんて、別にいらなかったんだよ。アスカがいてくれることが、何よりのプレゼントなんだから」
それを聞いたアスカは、大きな瞳をさらに大きく見開いた。でもね、僕の言うことは間違ってないと思うよ。お母さんはきっとそう思ってる。
しばらくすると、アスカはとても嬉しそうに微笑んだ。僕の言葉の意味、わかってくれたのかな? 僕はアスカのその笑顔を見て、また嬉しくなって。もっともっと近くに感じたくて、もっともっと強く手を握り締めた。
本当にそう思うんだ。アスカの笑顔が見られるのなら、僕は何もいらない。きっとお母さんもそうだったはずだよ。
僕は素敵な笑顔を見せてくれたアスカを見つめた。目が離せなくなって、もうアスカしか見えていなかったから。だから全然気づかなかった。
「と〜ってもいい雰囲気のところ、お邪魔して悪いんだけど」
「きゃあっ!!」
そこで僕たちを見ていた人がいたなんて。ガバッとアスカの背後から抱きついてきた黒い影。ミサトさんはアスカの頭に頬をスリスリさせながら、アスカを抱きしめていた。
「ちょっと、びっくりするじゃないっ」
「いいの。いいの」
「良くないわよっ。いつからそこにいたのよ?」
まさかそこに、ミサトさんがいたなんて。僕は本当にびっくりして、ミサトさんの顔を穴が開くほど見つめた。
「ママは何が欲しいかしら、っていうところから」
ニヤニヤしながら、ミサトさんが僕とアスカの顔を覗きこんだ。
「早く寝ないと、サンタクロースが来ないわよ」
「あのねぇ。そんなの信じる歳でもないでしょ。くだらないことばっかり言ってるんなら、さっさと部屋にもどりなさいよ」
アスカが憮然とした表情で答える。
「あら。サンタクロースはいい子のところにやって来るのよ。アスカがどう思っているのか知らないけど、あなたたち二人はよく頑張ってるもの。まあたまには手を焼くこともあるけど、いい子に入るんじゃない? サンタクロースだってきっと空から見てるわよ」
「だから、そんな歳じゃないって言ってるでしょっ!!」
「はいはい。それじゃあ、邪魔者は大人しく退散するわ」
ミサトさんは手をヒラヒラさせて。自分の部屋の扉の前まで行くと、僕たちを振り返った。
「でも本当よ。二人がいい子だってのは、私がちゃんと知ってるから」
それだけ言い残して。
「じゃ、おやすみ〜」
ミサトさんは嵐のように去って行った。
「な〜にがサンタクロースよっ」
ミサトさんの後姿にアスカは憎まれ口を叩いていたけど、でも目は全然怒ってなくて。それどころか、ちょっと笑っているみたいで。
「サンタクロース、来るといいね」
「アンタまで、何言ってんのよ」
アスカは僕の脇腹を小突いて、でもなぜかとても嬉しそうな表情をして僕の肩に頭を乗せた。
翌朝、いつもと同じようにシンジの呼ぶ声で目が覚めた。いや、いつもと同じではない。今日のシンジは、なんだか興奮気味だ。
「アスカっ、アスカっ、ちょっと来て!!」
いつもとはちょっとニュアンスが違う。アタシにしては珍しく、一度の呼び声でベッドを降りるとリビングへ向かった。
「何なのよ、朝っぱらから」
「プレゼントだよ。ツリーの下に、プレゼントがあるよ」
シンジが指差すツリーの下には、確かにキラキラしたリボンのかけられた箱が二つ置いてあった。紺と赤の箱が一箱ずつ。シンジは興奮を隠しきれない顔で、紺の箱を持ち上げる。もちろんシンジだってサンタクロースを信じているわけじゃないと思うけど、たぶんこの演出に感動しているに違いない。初めて体験する、サンタクロースがやって来たって演出に。
「こっちが僕のだよね。あれ? カードも入ってるよ」
シンジがリボンに挟んであったカードを開いた。
「これ、何て書いてあるんだろう。英語じゃないよね」
首を捻ったシンジを見て、アタシも赤い箱に手を伸ばしてカードを取り出す。ゆっくりと開いたカードに書かれていたのは。
「アスカはわかる? これ何語だろう。なんて書いてあるのかな」
「ドイツ語」
「ドイツ語? これドイツ語なの? そっかー。ん? あれ? もしかしてこのカード、アスカが書いたの?」
「なんで自分にメッセージを書かなくちゃいけなのよ」
「それもそうだよね。自分に書くわけないよね。じゃあサンタクロースって、もしかしてドイツ人なの!?」
「アンタ、ば……」
アタシは「ばか?」の言葉を無理矢理に飲み込む。なんとも的外れな返答に呆れたけど、今日はクリスマスだから、だからこのくらいは見逃してあげよう。アタシは改めて言い直した。
「ドイツ人じゃないわ。サンタクロースはフィンランドに住んでるんだもの」
アタシはもう一度カードに目を落とす。ドイツ語のカードを見ただけで差出人なんてバレバレじゃない。こんなことができるのは、この家ではただひとりだもの。初歩的な子供だましに小さくため息を付くと、アタシはメッセージに目を通した。
「ねぇ、なんて書いてあるの?」
「…………」
カードを見つめて俯いていたアタシの頬が緩んだ。別に可笑しいわけじゃないけど、肩が震える。昨日、ミサトが言った言葉を思い出した。『空から見てるわよ』って。
見てるのは、サンタクロースだけじゃないのね、ママ。
「ねぇ、教えてよ」
もう一度聞いたシンジの顔を見上げようとして、なぜだか視界が少しだけぼやけていることに気づいた。
これじゃ見にくいじゃない。ミサトのくせに、洒落たことしてくれちゃって。
アタシは俯いたまま、少しだけぼやけた瞳でまだ夢の中であろうこの家の主の部屋をチラッと見遣った。口に出しては言わないけど、アタシだっていつも思ってるのよ。
あなたが大好き。
「ねぇ、アスカ?」
「ヒミツ」
アタシは小さく呟いた。
「えぇ〜、アスカだけわかってるなんて、ずるいよ」
「いいの!!」
アタシの新しいサンタクロースからもらったプレゼントを胸に抱きしめて、アタシは空を見上げた。
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あなたが幸せでいることが、
あなたが笑顔でいることが、
私にとって何よりのプレゼントなのよ。
〜サンタクロースより 大好きなアスカへ
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ママ、空から見てる?
今のアタシには、アタシを大切にしてくれる人がたくさんいるから。だからアタシはとっても幸せです。
...終
あとがき
遅くなりましたっ。
でもとりあえず、クリスマスに間に合って良かった。
急いで書いたので、伝えたかったことが全部書ききれたかどうか。
少しでも楽しんでもらえたなら、幸いです。
Have a very merry Christmas !