「シンジのバカっ!!」
「だから、なんでそうなるんだよ!」
「バカだからバカだって言ってるんじゃないっ」
僕は今、僕のかわいい恋人のアスカとケンカしてる。
そう、いつもはとってもかわいいんだけど、気の強いところもあるけど、それでも僕の前ではいつもはとてもかわいいんだ。
それなのになぜか今僕は怒鳴られてる。ケンカの理由? それがわからないから困ってるんだよ。朝はいつもと変わらない様子だったのに、学校から帰ってきたらすごく怒ってるんだ。僕、何かしたのかな?
「ねぇ、僕が何かしたのなら謝るから教えてよ。僕、アスカに何かした?」
「そんなの自分で考えなさいよ、バカシンジ!!」
そう言い放つと、アスカは自分の部屋に閉じこもってしまった。だから、その理由がわからないんだよ。アスカ。
朝、いつものようにいつもの時間に目が覚めた。昨夜はなかなか寝付けなかったのに、それでもちゃんと目が覚めた。ふふ。習慣てすごいな。
さ、お弁当を作らなくちゃ。僕とアスカの分をね。
あんなケンカをした後だって、今日も僕はアスカのためにできることをしてあげるんだ。僕が大好きなアスカにしてあげられることは、そのくらいのことしかないから。
そんなことを考えながらベッドから起き上がったとき、大きな物音が聞こえた。
ガッシャン カラカラ カラン
何? 泥棒?
僕は慌てて部屋から飛び出した。
「あっ、ごめん、起こしちゃった?」
あれ? アスカ?
「おはよう。バカシンジ」
「お、おはよう」
アスカはすでに身支度を終え、見慣れぬエプロン姿でキッチンに立っていた。
昨夜のケンカが嘘のような笑顔で、振り向く。
「今日はアタシがお弁当作ってあげるから、シンジはもう少し寝てなさい。あ、朝食も任せてね」
これは、夢!?
「あの、アスカ、これはどういう」
「早く目が覚めちゃったのよ。ボーっとしてるのももったいないし、だから今日はアタシがやってあげる。ありがたいと思いなさいよっ」
「うん。ありがとう」
「ほらほら、わかったらさっさと顔洗ってきなさい」
「う、うん」
僕はなんか拍子抜けした。今日のアスカもきっと機嫌が悪いんだろうなぁと思っていたから。
でもアスカが笑っていてくれて良かった。アスカにはやっぱり笑顔がいちばんだ。
アスカに言われたとおりに身支度を済ましてキッチンに戻ると、すでにお弁当と朝食が出来上がっていた。
「ミサトさんは?」
「まだ寝てるわよ」
「じゃ、僕起こしてくるよ」
「ほっときなさいよ。どうせ起こしたって起きないんだから」
まあ、あれだけ大騒ぎしたのに起きてこないんだから、僕が起こしたところでやっぱり起きないんだろうなぁ。
僕はミサトさんの部屋を見つめながら、なんとなくミサトさんの将来を案じてしまった。
「さ、ミサトなんかほっといて、食べちゃいましょ」
ミサトさんには悪いけど、先に食べちゃうことにする。
朝食は、う〜ん、お世辞にも上手だったとは言えないけど、それでもアスカが一生懸命作ってくれたんだと思うと、それだけで僕にとってはこれ以上無いご馳走なんだ。
お弁当も楽しみだな♪
「さぁ、シンジ、そろそろ行くわよ」
「うん、今行く」
「アンタ、ちゃんとハンカチ持ったの?」
「あっ、しまった。ちょっと取ってくるから待ってて」
「そんなことだろうと思って、用意してあるわよ」
「あ、ありがとう」
そう言ってハンカチを受け取ろうと差し出した僕の手を無視して、アスカが僕のズボンに手を伸ばしポケットにハンカチを押し込んできた。
「はい。これで良し」
そう言ってアスカは僕のポケットをポンッポンッと叩く。
「さ、行くわよ」
「あ、ありがとう」
突然のことに僕はちょっと赤くなりながら礼を言うと、アスカの後を追いかけた。
今日のアスカはやっぱりヘンだ。アスカがこんなに優しいなんて。いや、嬉しいんだけど、でもやっぱりヘンだ。
そして僕は自分の勘が間違っていなかったことを痛感する時が来るなんて、思ってもみなかった。
「よっ、シンジ、おはようさん」
「おはよう、碇」
「おはよう」
「なんやお前ら、今日も夫婦揃って仲ええなぁ」
「そんなことないよっ」
僕は赤くなって否定した。
毎日繰り返される、いつもの遣り取り。何回同じことを言われても、やっぱり恥ずかしいや。
トウジもそんなことばっかり言ってると、またアスカに怒られても知らない……ぞ?
「まあね。アンタもアタシたちを見習ったら? ヒカリ、きっと喜ぶわよ」
あれ?
「な、なに言うとんねん!」
「ねっ、ヒカリ」
「ア、アスカ、ちょっと、何言ってるのよっ」
「それに」
真っ赤になっているトウジと洞木さんを尻目に、アスカは僕のほうをチラッと見た。
「今日はお弁当だってアタシの手作りなんだからっ」
あれぇ??? なんで怒らないの? アスカ、どうしちゃったの?
「おい、シンジ」
「えっ?」
「惣流のやつ、どないしたんや。熱でもあるんちゃうか?」
「トウジもそう思う?」
「思う、思う。あんなの惣流ちゃうわ」
「碇、なんかしたんじゃないのか?」
ケンスケがニヤニヤして近づいてきた。
「何かって?」
「う〜ん、女が急にしおらしくなる理由はただ一つ!」
「??」
「夜這いしたとか!?」
「な、な、な、何言ってるんだよっ! 僕、そんなことしてないよっ!」
ケンスケの突拍子も無い憶測に、僕は顔を真っ赤にして否定した。
確かに僕とアスカは恋人同士だけど、中学生の僕たちがそういう関係になるのはまだ早いと思ってる。僕とアスカがこれからも同じ家で生活していくために必要な、僕たちが決めた最低限のルールだから。
「ほんまかぁ? 惣流のあの変わりようは、絶対におかしい!」
「トウジまで、何言うんだよぅ」
「じゃ、何があったのかな?」
ケンスケが首をかしげた。
「う〜ん、僕もさっぱりわからないんだよ。昨夜はケンカしてたのに今朝起きたらすごく機嫌が良くて」
「そりゃおかしいなぁ。昨夜ケンカしとったんなら、尚更や」
「そうだな。おかしい。今日一日注意したほうがいいぞ」
「うん。そうするよ」
そうは言ってみたものの、朝からのアスカの様子を見ている限り注意しなくてはいけないことなんて何も無いような気がする。
だって、あんなに優しいのに。
キーンコーン カーンコーン
「よ〜し、じゃ、実験器具はきちんと洗浄しておくように」
「「「は〜い」」」
先生が化学実験室を後にすると、急に室内がにぎやかになった。
カチャカチャと器具を片付ける音に混じって、昼食について話しをする声が部屋のあちこちから聞こえてきた。時刻はちょうど12時を回ったところだ。
「はよ片付けて、メシや、メシ」
「手、洗って来るから、ちょっと待っててね」
僕は急いで手を洗うと、手を拭きながらトウジとケンスケが待つ廊下に向かった。
「お待たせ」
「シ、シンジ、お前何で手を拭いとるんや?」
「惣流だけじゃなく、ついに碇まで壊れたか」
トウジとケンスケが、顔をひきつらせる。
「へっ?? 二人とも何言ってんの?」
「そりゃ、こっちのセリフや。お前が今手拭いとるもん、よう見てみ」
「えっ? ハンカチのこと?」
二人とも何言ってるんだろう。ただのハンカチじゃないか。今朝、アスカが用意してくれたただのハンカチ……
これってまさか。
「あ、あ、あ、これ僕のパンツ!」
手にしっかりと握り締めていたのは、紛れも無く僕のチェックのトランクスだった。
折りたたんだ時の厚みでばれないようにするためか、ご丁寧にプレスされている。
事実を認識した僕は、恥ずかしさで体中が真っ赤になった。慌ててポケットにそれを押し込め、辺りを見回す。ちょうど通りかかった生徒たちが、クスクスと笑いながら通り過ぎていった。
や、やられた。アスカに、やられた。やっぱりアスカ、まだ怒ってるんだ。
僕は顔を上げて辺りを見回すと、アスカの姿を探した。
ちょうど廊下を曲がろうとしていたアスカは、チラッとこちらに顔を向けるとベーッっと舌を出して消えていった。
「それにしても、あのパンツが惣流の仕業だったとはなぁ」
「ちょっと、大きな声で言わないでよ」
お弁当持参で、指定席のようになっている屋上の一画へやって来た。僕はまだ顔のほてりが治まらない。
「やっぱあれか。昨夜のケンカの仕返しちゃうか?」
「うん。僕もそんな気がしてきた」
「ま、とりあえずメシでも食って、落ち着こうや」
「あっ」
「どやいしたんや」
「今日のお弁当、アスカが作ってくれたんだった」
先程の一件でそんなことすっかり忘れてたけど、アスカは僕のために朝食だけでなくお弁当まで作ってくれたんだ。そんなことを思い出した僕は、なんだかサーッと気分が晴れてきた。
「おお、そんなこと言っとったな。なんかヘンなもんでも入っとんちゃうか?」
「そんなことないよ。朝食もちゃんと作ってくれてたから、お弁当だって」
そう言いながら蓋を開けた僕の前にあったのは、お弁当箱いっぱいに敷き詰められた白いご飯と海苔で大きく書かれた『バカ』の文字だった。
アスカは本気で怒ってるんだ。
「碇、何したのか知らないけど、惣流に謝ったほうがいいぞ」
「そや、そや。今日はパンツとこの弁当だけやったけど、このまま終わるとは思えんしな。もっとすごいことが起こるんちゃうか?」
「うん。でも理由がさっぱりわからないんだよ。聞いても教えてくれないし」
「理由がわからんことにはなぁ。委員長に聞いてみよか」
「あ、そうだよね。洞木さんなら何か知ってるかもしれないよね。あとで聞いてみるよ。」
「待てよ。碇が委員長とそんな話しをしているところを惣流が見たら、惣流のやつ、余計に怒るんじゃないか?」
「それもそうや。隙を見て話しを聞いたるから、帰りまで待っとけ」
「う、うん。じゃあトウジ、頼むよ」
「任しとき」
帰り道、僕の足取りは重たかった。いつもは一緒にアスカと歩くこの道も今日は一人だ。
トウジが洞木さんに話しを聞いてくれたけど、結局何もわからなかった。
「ただいま〜」
当然だけど、返事は無い。
靴を脱ごうとして、あれっと思った。アスカの靴がない。
僕より先に帰ったはずなんだけど、寄り道でもしてるのかな。
それから数時間、辺りがだんだん暗くなってきた。時計を見るともうすぐ18時になろうとしている。
アスカ、遅いな。
今日はアスカの大好きなハンバーグを作ったんだ。こんなことでアスカが許してくれるとは思わないけど、これくらいのことしか思いつかなくて。
アスカ、早く帰ってこないかな。
もうすぐ19時になる。
おかしい。
携帯にも何度かかけてみたけど、電源が切られていてつながらない。
アスカがこんな時間まで帰ってこないなんて何かあったんじゃ……
僕は居ても立ってもいられなくなって、玄関を飛び出した。
アスカ、どこ?
アスカの行きそうな場所を回ってみる。
ショッピングセンターに、ファーストフード店、アスカの好きなケーキ屋さんや図書館にも行ってみた。洞木さんにも電話してみたけど心当たりはないらしい。
念のためにネルフにも確認したけど、アスカは行ってないみたい。
あとアスカが行きそうな場所は。アスカが一人でいる場所は。
僕は走り出した。
前にもこんなことがあったな。アスカが日本に来たばかりのとき、ユニゾンの練習が上手くいかなくて家を飛び出して行った。そんなアスカが居た場所は、マンションの近くにある丘の上の公園のベンチ。
そうちょうどあんな風に。
僕はアスカの小さな後姿を認めて、足を止めた。
アスカは暗くなった公園のベンチに座って、キラキラと明るく光を放っている街を眺めていた。
あのとき僕はただ言われるままにアスカを追いかけて、そして思ったんだ。
アスカって、強いなって。
でも今は違う。僕は僕の意思で追いかけてきた。大切なアスカを守るために。僕がアスカを失わないために。
「アスカ」
僕はそっと声をかけた。
アスカの体がビクッと震えた。
「アスカ」
もう一度声をかける。それでも返事をしてくれないアスカに向かって、僕はゆっくりと歩き出した。
僕はアスカの座っているベンチを通り過ぎ、アスカの前に回りこむ。アスカの前でしゃがむとアスカを見上げた。
「アスカ、帰ろう」
暗くてよく見えなかったけど、たぶんアスカは泣いていたんだと思う。
僕が手を差し出そうとしたそのとき、ようやくアスカが口を開いた。
「シンジ」
「何?」
「昨日、見たの」
「何を?」
「非常階段で女の子と二人で何やってたの?」
「あっ、アスカ近くにいたんだ。声かけてくれればよかったのに」
「声をかける? できるわけないじゃない。あんなに二人で仲よさそうにしてたくせに!」
「あれは手紙をね」
「ふんっ、手紙なんかもらっていい気なもんね。そのあと二人でどこ行ってたのよ。アタシ、見たんだから。二人で楽しそうにどこかに行ったのを」
「だから、あれは手紙をケ……」
「昨日は帰ってくるのも遅かったし、仲良くデートでもしてたのかしら?」
「だから、違うんだってば、あの手紙は」
「ふんっ。そんな言い訳したって無駄よ。アンタもやっぱりアタシみたいな気の強い女の子よりも、ああいう大人しそうな女の子がいいってわけね。よ〜くわかったわよ。だったら、ほっといてよ!!」
「アスカ!!」
僕は思わず大きな声を出してしまった。だってアスカがあんまり訳のわからないことを言うから。
アスカがびっくりして、大きな瞳で僕を見ている。
僕は一つため息をつくと、
「大きな声を出してごめん。でもアスカ、それは違うんだよ」
「何が違うのよ」
「あれは僕にくれた手紙じゃないんだよ」
「下手な言い訳やめてよ。二人であんなに顔を真っ赤にしてたくせに」
「だからそれは、違うんだってば。あれは頼まれただけで」
「常套句ね」
「本当なんだよ。手紙を友達に渡すように頼まれたんだよ」
「誰よ、その友達って」
「それはちょっと」
「ほらね、やっぱりウソじゃないっ」
「ウソじゃないよ」
「じゃ、言いなさいよ」
「で、でも」
「ふんっ、もういいわよ。さようなら」
アスカが勢い良くスクッと立ち上がったのを見て、僕も慌てて立ち上がった。
「わかった、わかったよ!! 言うよ。言うよ。あの手紙は、その、ケンスケに渡してほしいって頼まれたんだ」
「相田に?」
「う、うん」
「ホントに?」
「本当だよっ」
「ふ〜ん、世の中、変わった人もいるもんね」
「そんなこと言ったらケンスケに悪いよ」
「ま、いいわ。それよりアンタ、なんですぐにアタシに言わなかったのよ」
「だって、やっぱりそういうのは、人にペラペラしゃべるものじゃないと思うから」
「でも初めからアンタがそれを話してれば、アタシだってこんなに心配しなくて済んだんじゃない」
僕のことを?
「アスカ、心配してたの?」
アスカは無言のまま再びベンチに腰を下ろした。
「僕がアスカの前からいなくなると思ったの?」
相変わらずアスカの返事はない。
僕もアスカの隣に腰を下ろした。
「アスカ」
「…………」
アスカの手の甲に雫が落ちた。ひとつ。ふたつ。
「アスカ」
アスカの肩が震えている。僕はたまらなくなってアスカの肩を抱きしめた。
「ごめん、アスカ。ごめんね。アスカがそんな思いをしてたなんて、僕、全然気づかなくて。本当に、ごめん」
「バカ」
「うん。うん。バカだよね。本当に。ごめんね」
これが本当のアスカ。僕にだけ見せてくれる、本当のアスカの姿。
アスカは決して強くなんかない。強く見せなくては生きてこられなかったんだ。僕と同じように、アスカもずっと一人だったんだ。
でも今は僕がいるから。僕がアスカのそばにいるから。本当にごめんね。こんな思いは二度とさせないから。
「アスカ」
返事の代わりに顔を上げたアスカの頬を右手でそっと撫でると、僕は顔を近づけ、涙の跡にキスをした。
頬から降りてきた僕の唇は、やがてアスカの唇に重なった。僕の気持ちが伝わるように、アスカの気持ちが落ち着くように、ただそれだけを願って静かに唇を重ねた。
「んっ」
アスカが僕のシャツを握り締める。
僕の腕の中にいるアスカはとても小さく感じた。アスカからそっと顔を離し、アスカをギュッと抱きしめた。
アスカはそれ以上何も言わなかった。僕もただ黙ってアスカを抱きしめていた。
「アスカ、そろそろ帰ろうか」
少しひんやりとした夜風が通り抜けた。
「ねぇ」
「なあに?」
「今日の夕食はなあに?」
僕の胸に顔をうずめたまま、アスカがたずねる。
「ハンバーグ作ったんだ」
アスカは突然立ち上がると、スタスタと歩き出した。
「アスカ?」
「さ、行くわよ。バカシンジ」
そう言って振り向いたアスカは、いつもの眩しいほどの笑顔に戻っていた。
...終
あとがき
今回は初めてシンジ君目線で書いてみました。
いかがだったでしょうか。
楽しんでもらえたかなぁ。心配です。
次回もがんばって書きますので、
また遊びににきてくださいね。