これをあなたに - This one's for you.    written by 加古いく様


「ずいぶん、いっぱいあるね・・・」
「そうねぇ。あたしもこんなにあるとは思わなかったわ」
「あ、でも、こっちのこれはさ、まだ演ってないんだよ。ほら、十二月十八日からだって。予告だよ、これ」
「ほんとだ。じゃあ、今演ってんのはどれよ?」
「えーと・・・、こっからこっち、なのかな。・・・あ、でも、これは、ほら、夜だけだよ」
「つまり、・・・この四つか」
「うん、そうだね。・・・どれにする?」
「・・・どれでもいいわよ」


シンジは、すっ、と息を吸って、何か言い掛けたが、結局やめて、映画のポスターの方に向き直った。

この界隈を、彼らは「駅裏」と呼んでいる。市営線仙石原駅の芦ノ湖側。この地域の開発が進む前から開けていた地区であったが、箱根山沿い一帯の大規模な開発が進むに連れ、人の流れは逆転し、差が開いてしまった。どちらかが表なら、その反対は裏である。山の手住まいの多い第壱中学の生徒たちにとっては、山側が表なのであろう。

シンジとアスカは、その駅裏に一つだけある映画館の壁に掛かったポスターを前に、結論を出せずにいる。もっとも、考え込んでいるのはシンジだけであって、アスカはその様子を微笑みながら眺めているだけなのだが。


話は二週間ほど遡る。


葛城家のダイニング・キッチンに、ときおり、笑い声や音楽が響いてきている。誰かがリビングでテレビを視ているのであろう。それには一切関心を示すことなく、シンジが一心に夕食の支度をしている。

小麦粉を軽くはたき、舌平目の下ごしらえが終った。コンロにテフロン加工のフライパンを掛け、熱し始めた。オリーヴ油を一匙と、軽く潰したニンニクを入れ、フライ返しで転がす。頃合でニンニクを取り出し、バターをひと欠け。フライパンをゆすっていると、バターが泡立ってくる。ここからが勝負だ。ところが、舌平目をフライパンに移そうとしたところで、電話が鳴った。

シンジは、大声で、「アスカー! 電話出てー!」と叫んだ。が、即座に返ってきたのは、「イヤー」と言う低い声。先ほどのお買い物で、自分の意見が受け入れられずに、晩のおかずが魚料理と決まってから、ずっとこの調子である。シンジは、情け無さそうな視線をフライパンに送ると、火を落とし、キッチンの端っこで抗議の声を上げ続けている電話機へと向かった。

「はい、葛城です」
『あたしー』
「あ、おつかれさまです。今、晩ご飯作ってますけど、どうしますか?」
『んー、ちょっち遅くなりそうなのよー。先食べてて』
「じゃあ、メモ書いて冷蔵庫に入れときますね」
『お願い』
「他には何か?」
『えーっと・・・。あ、そうだ、来月の四日なんだけど、アスカの誕生日なのよ』
「そうなんですか」
『うん。それで、パーティやってあげたいんだけど、シンちゃん、頼める?』


シンジは少し躊躇ってから答えた。

「えーっと・・・、何をすればいいんですか?」
『そうねぇ。出席者決めて、ケーキと飲み物手配して、お料理作って、プレゼント用意して、・・・くらいかな』


シンジは、受話器を持っていない方の右手で電話台の上のボールペンを引っつかむと、慌ててメモを取った。

「それ、全部ぼくがやるんですか?」
『ダメ?』


小さく溜息をついた。


「分かりました」
『プレゼント、どうする?』
「えっと・・・」
『アスカ、何あげたら喜ぶかしら』
「さー・・・」


シンジは、それよりも、フライパンの中のバターの状態の方が気になるようだった。


『じゃあ、決めといてくれる? 予算五千円で。シンちゃん千円でいいから』
「あ、なるほど。そういうことなら分かりました」
『アスカのスケジュールも押えといてね』
「サプライズじゃなくていいんですよね?」
『いいでしょ。どうせすぐに気が付いちゃうわよ』
「ですね」
『じゃ、よろしくねー』


受話器を置いたシンジは、急いでコンロの前に戻り、フライパンの中を確認した。そして、大きな溜息をつくと、キッチン・ペーパーを二枚取り出し、中の油をすっかり拭って、ゴミ袋にしているスーパーのレジ袋に捨てた。


「美味しいじゃないの、これ」
「だから言ったじゃないか」
「説明が下手なのよ」


アスカは、香ばしく焼けている小骨だらけのエンガワを切り分けると、おそるおそる口へと運んだ。

「あ、ほんと。パリパリしてて美味しい」
「だから言ったじゃないか」
「しつっこいわねぇ、オトコのクセに。褒めてあげないわよ」
「これでもアスカの好みとか考えて選んでるんだからさ、もうちょっと信用してよ」


アスカは、「へーっ」という顔をして、隣に座っているシンジの方を向いた。シンジは、自分の皿のムニエルの背骨を、箸でキレイに選り分け終えると、ふっくらした身をひと箸つまみ、確かめるように味わった。アスカは、シンジの顔に満足げな笑みが広がるのを見届けると、微笑んで、アサリのスープを一口啜った。

「あ、そうだ」


シンジは、箸を置いて席を立つと、電話台の方へと向かった。

「来月の四日、誕生日なんだって?」
「誰から聞いたの?」
「ミサトさん。さっき電話で」
「ふうん。それで?」


シンジは、電話台に置いてあるメモ用紙の一番上を一枚切った。

「誕生パーティやろうよって、ミサトさんが」
「あ、そう」
「その日、空けられる?」
「・・・まあ、別に予定はないけど」
「誰か、呼びたい人っている?」
「あんたが幹事やってくれんの?」
「うん。ミサトさんに頼まれちゃってさ」


アスカは、「ふーん」と言いながら、席に戻ってきたシンジの動きを目で追った。

「加持さん、呼んでもらっていい?」
「いいよ、もちろん。ミサトさんに頼んどく」
「あとは、ヒカリね」
「自分で誘う?」
「そうね。あたしから言っとく」
「綾波は?」
「・・・どっちでも」
「そっか・・・」
「時間は?」
「まだ決めてないけど、ミサトさんの都合に合わせることになると思うよ」


シンジは、電話台から持ってきたボールペンで、メモ用紙に何やら書き込みをした。アスカは、その様子を見ながら少し躊躇っていたが、やがて口を開いた。

「ミサトに頼まれたって・・・」


シンジは、驚いたように顔を上げ、アスカを見て言った。

「ミサトさんに押し付けられたとか、そういうことじゃないよ。ほんとだよ」


不安そうな顔で力説するシンジを見て、アスカは、ふっ、と笑った。

「めんどくさいんじゃないの?」
「そんなことないよ」
「あたし、何かやんなくていい?」
「うん。アスカのお祝いなんだから、アスカは何もしなくていいよ。だいじょぶ。任せて」
「はいはい」


シンジは、再び何やらメモすると、顔を上げて、訊ねた。

「プレゼント、何がいい?」
「はぁ?」


サラダに手を伸ばしたアスカの手が止まった。


「あ、いや、だから、誕生日のプレゼント・・・」
「あたしが考えんの? それ」
「いや、何か、欲しいものあるかな、って思って・・・」


アスカの口がとんがった。

「海辺の別荘がいいわね。コート・ダジュールあたりに。プール付きのやつ」
「何言ってんだよ」
「ダメなの?」
「何でもいいってわけじゃないよ」
「じゃあ、ダイアモンドのネックレス。小さいのがいいな」
「いや、あのさ・・・」
「何よ。あんたが聞いたんでしょ?」
「そんなの買えるわけないだろ」
「あんたに買えるものを、あたしが自分で買えないわけないでしょ?」
「いや、お金はミサトさんも出すし・・・」


アスカはシンジの目を見つめ、それからサラダの方に向き直った。

「何でもいいわよ」


シンジは俯いて、返事をしなかった。アスカは、構わず夕食を済ませると、「ごちそうさま」と言って、食器をシンクに運び水を掛けて軽く濯いだ。シンジは何も言わなかった。アスカは、リビングの方に向かいかけたが、振り向くと、シンジに声を掛けた。

「魚、美味しかったわよ」


シンジは、きょとんとした顔で、アスカの方を向いた。

「あんたが、どーしてもあたしに食べて欲しいっていう料理があるなら、作ってもいいわよ、これからは」


アスカは、不機嫌そうに、そっぽを向きながら言った。しかし、シンジは笑顔になって、「うん」と言って頷いた。少しだけ見つめ合った後、アスカは、くるっ、と後ろを向いて、リビングの方へ出て行った。


夜中に手洗いに起きたシンジは、キッチンの照明が灯っているのに気付いた。

「おかえりなさい。ずいぶん遅かったんですね」
「うん。ただいま。・・・あ、晩ご飯、ありがとねー」
「いえいえ」


部屋着に着替えてすっかり寛いだ体のミサトは、シンジが用意しておいた夕食を暖め直したのを肴に、四本目の缶ビールを呑んでいるところだった。しかし、テーブルの上には、ビール缶と料理の他にも、仕事の資料らしき、図表入りの文書が置かれている。ミサトは、サラダをつつき、ビール缶を傾けながらも、それを読むのに忙しいようである。シンジは、そんなミサトを心配そうに見やりながら、テーブルの脇を通り、手洗いへと入っていった。

用を済ませたシンジがキッチンに戻ってきたとき、ミサトはちょうど五本目の缶のタブを開けたところだった。シンジは、ふふっ、と笑いながら、すぐには部屋に戻らずに、話し掛けた。

「久しぶりに魚にしましたけど、どうですか?」
「うん。美味しいけど、どうしたの?」
「安かったんですよ、珍しく。型も良かったから」
「へー。アスカ、文句言わなかった?」
「買い物のときから、一口食べるまで、ずっと文句言ってましたけど、食べたら美味しかったみたいです」


ミサトは、あはは、と笑った。シンジは、テーブルの脇に立ったまま、用件を切り出した。

「それで、アスカの誕生パーティのことなんですけど・・・」
「うん。どう?」
「加持さんと、クラスメートの洞木さんを呼びたいって、言ってました」
「うん。いいんじゃない?」
「加持さんの予定、押えて頂けますか?」


ミサトは、一瞬、渋い顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻した。

「いいわよ。伝えとく」
「綾波も呼んだ方がいいかどうか、悩んでるんですけど・・・」
「あー、なるほど・・・。アスカは何て?」
「どっちでも、って」
「じゃあ、レイ次第じゃない?」
「あ、そうですね、確かに」
「なあに? 問題でもあるの?」
「いや、そうじゃないんですけど・・・」


シンジは、俯いて、少し躊躇っていたが、やがて口を開いた。


「あと、プレゼントのことなんですけど・・・」
「うん。何がいいかしら?」
「アスカに訊いてみたら、海辺の別荘か、ダイヤのネックレスがいいって言うんですよ」


ミサトは、ぷっ、と失笑した。

「そんなの冗談に決まってるじゃない」
「もちろん、そうだとは思うんですけど、ぼくに買えるようなものはあたしにも買える、とかって、なんか、取り付く島がなくて・・・」
「怒らせちゃったのね」
「はい。いや、なんで怒るのか意味が分からないんですけど」


ミサトは、うんうん、と頷きながら、ムニエルを一口頬張った。


「それで、お願いなんですけど・・・」
「なあに?」
「プレゼントは、ミサトさんが選んでくれませんか? 同じ女性だし、欲しいものとか、分かりますよね?」
「ダメよそれじゃあ。アスカの気持ちは、シンちゃんが一番分かってるじゃない」
「それだけは絶対違いますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ」
「ま、シンちゃんに分かんないことは、他の誰にも分かんないわよ」
「そんなことないですよ」


ミサトは、ちっ、と軽く舌打ちをすると、少し考えてから告げた。

「じゃあ、やっぱりプレゼントは別々にしましょ。あたしはあたしで贈るから、シンちゃんは自分で考えて何か贈ってあげなさいな。ね?」
「えー・・・」
「情けない顔しないの。男の子でしょ?」
「だからですよ」
「何がいいか、ちゃんと考えなきゃダメよ」


シンジは、上目遣いにミサトの方に恨めしそうな視線を送ったが、ミサトにしっかりと受け止められると、俯いて目を逸らした。

「はい」
「悪いわね」


そう言うとミサトは、資料に向き直り、ビールを啜った。


その数日後。

学校から駅の方へと下っていく坂道を歩くシンジの姿があった。下校の時間と見え、前後に数名の制服姿が三々五々歩いている。しかし、シンジの周りには誰もいない。一人でとぼとぼと歩く姿は、幾分、寂しそうにも見える。

そのシンジの脇を、一台の車がゆっくりと通り過ぎていく。少し先に行ったところでウィンカーを出し、脇に寄せて停まった。

「よお、シンジくんじゃないか」


シンジが顔を上げると、フィアットのサンルーフから、加持の顔が覗いていた。

「学校帰りかい?」
「あ、はい、こんにちは、」


加持は、少し慌てたふうのシンジを遮ると、続けた。

「乗りなよ。送るからさ」


シンジは、後ろを確かめながら車道に出て、右側の助手席に乗り込んだ。

「帰りはアスカと一緒なんだと思ってたよ」
「ええ、いつもはそうなんですけど、今日は急に、アスカだけネルフに・・・」
「へえ」


加持は、それは意外だな、という顔をしながら、サングラスを掛け、シートベルトを締めた。

「葛城の家でいいかい?」
「いえ、あのう、晩ご飯の買い物しないといけないんです」
「そうか。それじゃ駅前かな?」
「はい。ありがとうございます」
「おやすいご用さ。しかし、その前にちょっと付き合ってもらえないかな。君に相談があってね」


後方確認しながら発進させる加持の表情は、サングラスが邪魔をして窺えない。シンジは、訝しみながらも、「はい」と答えた。


「あら、今日は早いのね」


ミサトに声を掛けられたリツコは、微かに眉を上げた。

「何事も、必ずしもスケジュール通りとはいかないのは、そっちも同じでしょ?」
「そうだけど・・・」


ネルフ本部六階の職員用ラウンジ。四人掛けの円形のテーブルに一人で腰掛けたリツコは、夕食後のコーヒーを啜っているところであった。テーブルの上には、数枚のコピー用箋が広げられている。リツコは、手に持っていた一枚をテーブルの上に戻すと、別の一枚を取り、印刷されている数字と記号の羅列を目で追った。

「どうかしたの?」


ミサトは、リツコの右側の椅子を引いて腰掛けると、様子を窺う。リツコは、軽く眉を上げ、コピー用箋を再びテーブルに戻した。中ほどに印刷されている二つの数値に蛍光マーカーで下線を引き、何やら書き込んでいる。俯いた顔には仄暗い間接照明の光は届かず、テーブルの中央に置かれたキャンドルの光が眼鏡に反射して、表情は窺えない。

「どうも、魔法が使えると思われてるようなのよね」


俯いたまま、リツコが答えた。

「誰が?」
「技術開発部」
「誰に?」
「さあ」


そう言うとリツコは、蛍光マーカーのキャップを締め、白衣の胸のポケットに挿すと、広げた紙をまとめ始めた。

「例のテスト、少し遅らせてもらってもいいかしら?」
「例のって、オートパイロット?」
「ええ」
「どうして?」
「模擬体の準備にまだ時間が掛かりそうなの」
「ふうん・・・。まあ、いいけど、どのくらい?」
「二三日で済むといいんだけど。詳しいスケジュールはまた連絡するわ」


ミサトは、少し真顔になり、リツコの方へ身を乗り出すと、声を潜めて訊いた。

「そのテスト、一体何のためなの?」
「オートパイロット?」
「うん」
「自動操縦よ」
「パイロットならいるじゃない」
「常に意識を保っていられるとは限らないでしょ? 不測の事態への備えは必要だわ」
「そうだけど・・・」


更に何か言おうとしたミサトの背後から、良く響くバリトンが聞こえてきた。

「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」


それを聞いたリツコは、くすっ、と笑い、ミサトは不機嫌そうに目を閉じた。

「なんであんたがここにいんのよ」
「こりゃまたご挨拶だな。しかし、そんなことより、声だけで俺を分かってくれるとはね」
「ち、違うわよっ! ・・・ほら、お冷やよ。お冷やが出てないじゃないの」
「おっと、これは俺としたことが。ぬかったな」


加持は、ミサトの背後を回り込むと、リツコの正面の椅子に腰掛けた。

「ちょっとー。なんでそこに座んのよ」
「君の顔が良く見える場所にいたいからさ」


加持は、しれっ、と言って、軽く微笑んだ。リツコは、犬も食わないやりとりに些かも関心を示すことなく、自分の伝票にサインすると、椅子を引いて立ち上がった。いつの間にか、眼鏡は白衣の胸のポケットに納まっている。

「それじゃ、お邪魔虫は消えるわ。リョウちゃん、またね」
「ちょっとー、」
「悪いな、気を遣ってもらって」


ミサトの抗議の声も虚しく、リツコはレジの方へと歩み去る。そのリツコに道を空けて待っていた本物のウェイターが、二人分のお冷やを持ってテーブルに歩み寄った。

グラス・ビールとミックス・ピザを注文したミサトは、ボウモアの十二年とチーズ・アソートを注文した加持を恨めしそうな目で見ていたが、やがて、何かを思い出したように、口を開いた。

「ちょっち、頼まれてくれる?」


駅裏のコイン・パーキングにフィアットを停めた加持は、シンジを促し、路地を一本入ったところにある喫茶店に入った。雑居ビルの二階にあるその店の扉には、“コーヒー 鯔背屋”と書かれた手書き風の看板が掛かっていた。狭い店内には、鼻眼鏡を掛けた初老のマスターが一人だけ。二人の他に客はない。加持は、表の細い路地を見下ろせる窓際の席を選んで腰を下し、シンジにも椅子を勧めた。鼈甲色に磨かれた木製のテーブルの上には、アクリル板に挟まれたメニューが立っている。シンジは少し緊張しているのか、表情が硬い。

注文を聞いたマスターが立ち去った後で、加持が訊ねた。

「ほんとにコーヒーだけでいいのかい? 遠慮することはないんだぞ」
「はい、だいじょぶです」


そう言ってシンジは微笑んだが、目は笑っていなかった。

「来月、アスカの誕生パーティがあるんだろ? 葛城から聞いたよ」
「はい。あのう、加持さんにもいらして頂きたいんですけど、だいじょぶですか?」
「ああ、空けとくよ。たいへんだな、いろいろ」
「いえ、そんなことないです」
「それで、相談なんだが、シンジくんはプレゼントはもう決めたかい?」
「いえ、まだなんです」
「そうか・・・。似たようなものにならないように調整しようと思ったんだが・・・」
「すみません」
「いいさ。選ぶってのは難しいもんだ。じゃあ、決まったら教えてくれるかい? 俺の方はいくつかプランがあるから」


シンジの表情は、だんだんと沈んでいき、とうとうテーブルの表面を見つめながら考え込んでしまった。そして、やがて口を開いた。

「あの・・・、」
「エスプレッソ二つ、お待たせしました」


加持は、軽く目を閉じたが、すぐに目を開いて、窓の下の通りに目をやった。マスターは、いい香りを振りまく褐色の液体の注がれた小ぶりのカップを、二人の前に恭しく置いた。

「ご注文の品はお揃いでしょうか?」


加持が、軽く頷いた。

「伝票をこちらに失礼します。ごゆっくりどうぞ」


マスターは、ゆっくりと会釈をすると、お盆を小脇に抱え、ひょこひょことカウンターの後ろへ引っ込んでいった。加持は、シンジの方に向き直ったが、シンジは俯いて何も言わない。続いて、カウンターの向こうに恨めしげな視線を送ったが、その先にいるマスターは、洗い上がったグラスやカップを拭くのに忙しい様子だった。

加持は、自分のカップを取り上げ、香りを確かめると、中の液体を一口啜った。それを見たシンジも、カップを持ち上げ、ふうふう、と吹いて、一口啜る。

「美味しいですね、これ・・・」
「すごいな。その年でコーヒーの味が分かるのか」
「え? いえ、そういうわけじゃないですけど、初めて飲む味です」
「そうか・・・。それは良かった」


シンジは、すっ、と息を吸って、続けた。

「実は、アスカに、何か欲しいものがないか訊いたんですけど・・・」


加持は、少し驚いたような顔をして、無言で先を促した。

「ぼくに買えるようなものは自分でも買える、って言われちゃって・・・。何をあげたらいいか、困ってるんです」


加持は、ははは、と笑った。

「しかし、何も欲しくないとは言わなかったんだろ?」
「えーっと・・・、そうは言ってないですけど、でも、たぶん、アスカは、ぼくのプレゼントなんて欲しくないんじゃないかな、って・・・」
「そうなのかい?」
「はい」
「どうしてそう思うんだい?」
「いや、だって、『何でもいい』って・・・」
「そうか」
「そう言われても、困りますよね」


シンジは、同意を求めるように、えへへ、と笑って、加持の方を上目遣いに見た。加持は、にやっ、と笑うと、答えた。

「俺も、覚えがあるよ」
「そうなんですか?」
「女ってのは、思ってもいないことを言う生き物なんだな」
「そうなんですか」
「本当は何を言いたいのかは、言葉だけ聞いてても分からないのさ」
「でも、それじゃあいつまで経っても分からないですよね」
「そうかい?」
「だって、ホントは何考えてるかなんて、言ってくれなきゃ分からないですよ」
「なかなかそうはいかないんだよ」


加持は、再びエスプレッソを一口啜った。

「じゃあ、ひとつ、アドバイスしとこう」


同じくコーヒーを啜ったシンジも、カップを置いて、小さく、「はい」と言った。

「女の子が『何でもいい』って言ったら、だいたいそれは、『あなたが一生懸命選んでくれたものなら何でもいい』って、そういう意味なのさ」
「はぁ」
「しかし、普通はそんなの恥ずかしくて言えないだろ? だから、単に『何でもいい』って言うのさ」
「なるほど・・・。でも、アスカの場合は違うと思いますけど」
「そうなのかい?」
「たぶん・・・」
「そうか」


加持は、軽く頷くと、少し考えてから続けた。

「ま、普段近くで見てる君の感覚が一番正しいだろ」


シンジは、少し躊躇ってから、口を開いた。

「ぼくは、誰かにプレゼントを選んでもらったことなんて、ないんです」


加持は、目線を上げて、小さな声で、「ほう」と言った。

「ぼくを育ててくれた方は、誕生日やクリスマスが近づいてきたら、必ず、『プレゼントは何がいい?』って訊いてくれました。ぼくは、・・・だいたい、何でもいいです、って答えるんですけど、でも、そうすると、必ず、『遠慮しないで』って言われて・・・」
「欲しくもないものを答えていた、か」
「良く分かりますね」
「君が本当に欲しかったものは、誰かに頼んだって手には入らないものだったんだろ?」
「・・・そうかも知れません」


加持が黙っていると、シンジが続けた。

「だから、アスカが『何でもいい』って言う気持ち、本当は、分かる気がするんです」
「なるほど。そりゃ悪かった。しかし、それなら、どうしたらいいか、君は分かってるんじゃないか?」
「いえ・・・。アスカには、何をあげたって、本当には喜んでもらえないんです。でも、誕生日のプレゼントなんて、そんなもんですよね? そんなもんだけど、それでも贈ったり贈られたりしてれば、なんとなく安心するっていうか・・・。そう思うんですけど・・・」
「そうか・・・」


加持は、じっとコーヒー・カップを見つめているシンジの頭を見ながら、無精鬚を右手で二度三度と撫ぜた。

「どうも、俺は君の相談に乗るには、少し、力不足みたいだな」
「いえ、そんなことないです・・・」


加持は、軽く苦笑して、カップに残ったエスプレッソを飲み干した。

「ところで、アスカのために何かを選んでやるのは、これが初めてかい?」
「はい」
「しかし、食事は君が作ってるんだろ?」
「はい」


そう即答したシンジだったが、すぐに、あっ、と声が漏れた。顔を上げ、加持を見つめた。


「ごちそうさま。美味しいコーヒーでした」
「ありがとうございます。八百円頂戴します」


加持は財布を出そうとするシンジを目と手で制すると、自分の財布を出して、千円札を出した。

「千円のお預かりで、二百円のお返しになります。ただ今レシートを」
「いや、いいですよ」
「そうですか。では、こちらだけでも」


マスターの手には、百円玉二枚の下に、紙幣よりも一回り小さいサイズの紙片が一枚乗っていた。

「何ですか? これは」


加持が、それを受け取りながら訊ねた。

「はい、このあたりの商店街で、福引をやっております。五千円のお買い上げで一回なんですが、五百円毎に補助券を差し上げておりまして、十枚集めると一回分になるんです」
「なるほど。じゃあ、シンジくんにあげるよ」


加持は、後ろを振り向くと、シンジに券を差し出しながら言った。

「あ、いえ、いいです」
「そうかい? 遠慮しなくていいんだぜ。俺はこのあたりに来ることはほとんどないし、君が有効利用してくれれば、葛城の家計の足しになるかもしれないからな」
「あ、なるほど・・・。じゃあ、折角なので、頂きます」


コーヒーのお礼を言って加持と別れたシンジは、駅の方へと歩き始めた。駅裏の路地は総じて広くはなく、この道も一方通行である。

シンジは、普段あまり通らないこの辺りが珍しいのか、左右をきょろきょろ見ながら歩いている。そうして1ブロックほど歩いたところで、ひとつの店の前で立ち止まった。そのショウ・ウィンドウには、イルカの形をした置物が、目立つ場所に置かれている。クリスタル製なのだろうか。うねる波の上を豪快にジャンプするイルカも、その下の海面も、透明な輝きを放つ彫刻のようである。その周りを見ると、やはりクリスタル製と思われる、動植物や人工物を模した置物、フォト・フレーム、ネックレスやデザイン・リングなどがたくさん並んでいる。クリスタルと金や銀を組み合わせたもの、石の台座に据えられたもの、宝石をあしらったもの。大きさもいろいろである。小さなものは親指の先くらいだが、細かく細工されている。

シンジは、それらひとつひとつの細工に見入っていた。上の方に置かれている大型の商品から始めて、顔を近づけ、腰を折り、下の方に置かれている小さな商品まで、真剣に品定めしている。その中に天使の羽根を模したデザインのイヤリングを見つけたとき、シンジの口から息が漏れた。ひとしきりそれを見つめていたが、やがて、その脇に控えめに置かれている、価格表示用の数字ブロックに目をやり、目の動きでその桁を確かめた。表情が曇り、溜息が出た。

最後の一つまで、じっくり鑑賞すると、ようやくその場を離れた。ところが、店の入り口の自動扉を見て、再び足が止まった。急いで財布を出すと、先ほど加持からもらった券を出し、読み始めた。

景品総額100万円! 12月31日まで有効です
一等(1本) ‥‥ SONY製41型有機ELテレビ「XEL-∂41」
二等(2本) ‥‥ H.I.S.ツアーで行く国内旅行2泊3日 (8種類のコースからお選び頂けます)
三等(8本) ‥‥ 商品券25,000円 (当商店街加盟店全店にてお使い頂けます)



シンジは再び顔を上げ、入り口の自動扉を見た。そこには、“仙石原駅東口商店街加盟店”と記されたステッカーが貼ってあった。


「買い物行くでしょ?」
「うん」


第壱中学の校門から、制服姿のアスカとシンジが、歩いて出た来た。学校前の坂を、駅の方へと下っていく。少し離れて、レイも続いている。ちょうど下校時間らしく、他にも多くの生徒が続々と校門から吐き出されている。

「今日は、駅裏の店で買おうと思うんだけど」
「ふうん。なんで? 安いの?」
「いや、そうでもないんだけど」
「美味しいの?」
「いや、そんなに変わらないんじゃないかな」
「じゃあ、どうして?」
「えっと・・・、たまには違った店も使ってみて、いろいろ比べてみようかなって・・・」
「なるほど。確かに仕入先を特定しないのは悪いことじゃないわね」
「うん」
「でも、その分歩くのに見合うほどのこと?」
「うん、それなんだよね・・・。もし、あれだったら、アスカ、先に帰ってても、」


シンジは、そう言い掛けて立ち止まった。アスカも止まると、言い返した。

「何言ってんのよ。もうここまで来ちゃったでしょ?」


アスカは、鞄を持っていない方の右手で校門の方を指差した。その脇をレイが、すたすたと通り過ぎて行く。

「ちょっと! ファースト! あんた何急いでんのよ!」


レイは、立ち止まって振り返った。

「ごめんなさい。あなたには言えないの」


軽く微笑んでそう言ったレイは、踵を返すと、そのまま坂を下って行く。あっけに取られたアスカに、シンジが慌てて声を掛けた。

「あのさ、」
「何なの? あれ」
「え? さあ、でも、綾波は、いつもあんな感じじゃない?」
「まあ、そうだけど」
「それでさ、ほら、まだ、ほんの20mくらい下って来ただけだよね?」


シンジが、校門の方を指差して言った。

「たいへんなら、ぼく一人で行くからさ」
「何言ってんのよ。その20m、坂登って戻るのに比べたら、駅のあたりの平地を少し歩くのなんて大したことないじゃないの」


仁王立ちでそう言い放つアスカを見て、シンジは、ぷっ、と噴き出した。

「何笑ってんのよ!」
「ごめん。でも、ほら、行くなら行こうよ」


シンジが歩き始めると、アスカも慌てて後をついていく。

「待ちなさいよっ! まったく、どいつもこいつも」


駅裏の八百屋で、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ナス、モヤシ、シイタケ、インゲンと買い込んだシンジは、店主からお釣りと共に、二枚の福引補助券を受け取った。

「なあに? それ」
「これ? えっと、まあ、福引券だね」
「何よそれ」
「つまり・・・、ほら、あれだよ」


シンジは、八百屋の隣、肉屋の店先にぶら下がっている、福引の宣伝ポスターを指差した。

「あんたが説明しなさいよ」
「よ、読めばいいだろ・・・」
「あたしが読むの苦手なの知ってるでしょーが」
「あ、そっか。つまりさ、籤を引けるんだよ。この券をいっぱい集めると」
「ははぁ。なるほど」
「分かった?」
「つまり、あんた、それが目当てでここで買い物しようってわけね?」
「えっ?」


シンジの目が泳ぐ。

「今日、教室で、ジャージとメガネになんか頼んでたじゃないの」
「見てたの?」
「見てたわけじゃないけど、あれだけ大騒ぎしてりゃ分かるわよ」
「そんなに騒いでたかな」
「一枚五十円で買うとかなんとか、何のことかと思ったら、これね?」
「耳がいいんだね・・・」
「つまりあんた、ミサトから預かった家計費を、私服を肥やすのに使おうってわけ?」


目を逸らしていたシンジが、慌てて反論した。

「いや、そういうことじゃないよ、ミサトさんからは、ちゃんと許可もらってるし、」
「じゃあ、どういうことよ」
「うーん、しょうがないなぁ」


シンジはアスカを肉屋の店先に連れて行くと、福引のポスターを前に、説明を始めた。

「実は、その先で、アスカの誕生日のプレゼントにぴったりなのを見つけたんだけどさ、ちょっと高いんだよね」


それまで不機嫌そうな顔をしてポスターを眺めていたアスカは、驚いてシンジの方を向いた。

「そんな、高いもんじゃなくていいわよ、あの、別荘とかは、冗談で、」
「分かってるよ。でもさ、ほんとに、アスカにぴったりだなって思ってさ。どうせなら喜んでもらえそうなのがいいし」


アスカは、束の間、沈黙したが、すぐに思い出して、言った。

「でも、それとこれと、何の関係があるわけ?」
「うん。ほら、三等の景品に、商品券ってのがあるだろ?」
「二万五千円・・・。なるほど、そういうことか」
「うん。だから、それを贈れるかどうかは、まだ分かんないんだけど、今頑張ってるところ」


アスカは、何とも言えない表情でシンジを見つめると、八百屋の袋を指差して、言った。

「それ、貸しなさいよ」
「え? いいよ、まだ持てるから」
「いいから。あんたはまだいろいろ買うでしょ?」


アスカは、シンジから八百屋の袋を奪い取った。

「で、今日の晩ご飯は?」
「うん。何がいい?」
「・・・何でもいいわ」
「じゃあ、お肉にしよっか」
「うん!」


シンジは、“本日特売!!”と記された豚肉の味噌漬けの値段を検め始めた。


その数日後。

午後から、珍しくシンジ一人だけが、シミュレーション・プラグを使ったデータ取りのためにネルフに呼ばれた。その帰り道、駅裏で買い物を済ませたシンジが葛城家に戻ると、先に帰宅していたアスカが出迎えた。「ただいま」「お帰りなさい」の挨拶を済ませ、キッチンに買い物袋を置き、二人で整理を始める。シンジが無駄口を利かないのはいつものことだが、今日はアスカも、眉間に皺を寄せて、無言で手伝っている。

買い物の整理が終ると、シンジは台布巾でテーブルを拭き始めた。アスカのやることはなくなったが、部屋に戻るでもなく、キッチンの入り口あたりに立っている。

「なに?」


シンジは、少しやり難そうである。

「うん。いいから、それ、やっちゃいなさいよ」


テーブルを拭き終ったシンジは、台布巾を濯ぎ、絞ってタオル掛けに掛けた。キッチンの床に置いてあった鞄を持ち上げ、自室の方へ行こうとしたところで、アスカが声を掛けた。

「今日、学校で、ヒカリと何か相談してたわよね?」
「えっと・・・、そうだっけ?」
「トボケんじゃないわよ。休み時間にあたしが教室の外に出るたんびに、ヒカリの席で何か話してたじゃないの」
「見てたの?」
「昨日も一昨日もそうだったでしょ? あたしが教室に戻ると、いっつもヒカリとおしゃべりしてて、あたしに気がつくと、何でもないフリして席に戻って」
「気がついてたのか」
「何なのよ」


アスカは、シンジを見据えて言った。シンジは、少しひるんだ様子で、答えた。

「言わなきゃダメ?」
「気になるじゃないの」
「なんで?」
「それは、・・・それは、だって、明らかにあたしを避けてるじゃないの、あんたたち」
「そうかなぁ」
「ヒカリに訊いたら、『碇くんに訊いて』の一点張りなんだから」
「ああ、そっか。悪いことしちゃったかな」
「ネタは上がってんだから、白状しなさい」
「えっと、実は、アスカの誕生パーティの飾り付けをね、ちょっと。やっぱ、ぼくだけじゃなかなか、」
「あー、そういうことか」


アスカの表情が急に和らいだ。

「うん」
「何でそんな、こそこそすんのよ」
「こそこそっていうか、だって、じゃあ、アスカのいる前で打ち合わせしろってこと?」
「・・・なるほど」
「だろ?」
「でも、なんか、気分悪いのよね」
「そう言われても」


シンジは、そう言って、少し口篭もった。アスカは釈然としない様子だったが、結局、「まあ、仕方ないか」と言って、鉾を収めた。

「あ、あと、綾波も来てくれるって言うんだけど、いい?」
「へー」
「ダメ?」
「あんたが頼んだの?」
「いや、あの、話したらさ、お祝いしたいって、綾波が、それで、」
「へー」
「いい?」
「うん。いいわよ」
「良かった」
「何が?」
「いや、実はもう、飾り付けとか、手伝ってくれてて・・・」


アスカは、ふっ、と笑った。それを見たシンジも、えへへ、と笑う。

「ところで、あれ、今何枚溜まってんの?」
「ああ、えっと、福引券だよね?」
「うん」
「えーと、6.8回分」
「てことは、なに、68枚ってこと?」
「うん」
「ずいぶん貯めたわねぇ」
「ほとんど、お買い物の分だけど、クラスの友達にも、けっこう売ってもらったから」
「あっそ。じゃあ、これ、売ってあげる」


アスカは、大量の福引補助券を取り出して、シンジの前に突き出した。

「ずいぶん、いっぱいあるね」
「2.3回分あるわよ」
「えー! じゃあ、一万円以上買い物したの?」
「え? えーと・・・、そうなる?」
「うん」
「じゃあ、そういうことね」


そう言うと、アスカは目を逸らした。

「自分で引かなくていいの?」
「なんで? 結局あたしのためなんだから、どっちが引いたっておんなじでしょ? しかも、あんたに売れば一枚五十円になるんだから、あたし丸儲けじゃない」
「ああ、なるほど。てことは・・・、1,150円か」
「千円でいいわ」
「いや、そこはちゃんと・・・。ちょっと待ってね」


シンジは、ポケットから自分の財布を取り出すと、ひっくり返し、一枚だけあった千円札と、数えた小銭をアスカに手渡した。

「残り230円しかないや」


シンジは、あはは、と笑いながらボヤいた。

「だから、千円でいいって言ってるじゃないの」
「だいじょぶだよ。明日お小遣いもらえる日だし」


アスカは、少し俯いて、シンジの肩に手を掛けた。

「何をくれるつもりか知らないけど、福引当たんなくても、ムリしなくていいわよ」
「え? うん。だいじょぶだよ。ムリして何とかなるようなものじゃないし」
「そっか」
「でも、何か代わりのもの、考えとかないとね」
「・・・いいわよ。あたしは、別に、何かが欲しいってわけじゃないんだから。ただ、何をくれるつもりだったのか、それだけ教えてもらえれば、それで、」
「そういうわけにはいかないよ」


アスカがシンジの顔を覗き込むと、シンジは、えへへ、と笑った。アスカも微笑んで、シンジの肩を、ぽんぽん、と叩くと、リビングへ入っていった。シンジも自室に向かい、部屋に入ろうとしたそのとき、電話が鳴った。振り返ってキッチンへ戻ろうとすると、リビングからアスカが出てきた。

「いいわよ、あたし出る」


ところが、シンジが着替えをしていると、電話に出たアスカが何やら怒鳴っているのが聞こえてきた。シンジは、慌てた拍子にズボンが引っ掛かってコケそうになったが、危うく踏み止まった。大急ぎで着替えを済ませ、部屋を出たところで、アスカが受話器を電話機に叩きつけたらしい、「ガチャン」という音が聞こえてきた。

「どうしたの?」

小走りにキッチンに入ってきたシンジが訊ねた。

「どうもこうもないわよ!」


アスカは、湯気を出して怒っている。

「いや、そう言われても」
「オートパイロットのテスト、四日にズレ込んだんだって」
「あー・・・、え?!」


四日は、アスカの誕生日当日である。

「スケジュールは?」
「一二〇〇スタンバイ。実験終了は一五三〇だって」
「なら、だいじょぶだよ」
「戻ってきたら五時じゃない。それから支度して、いつ始まんの? ヒカリはどーすんのよ?」
「あ、そっか」
「ほらごらんなさい」
「じゃあさ、うちに泊まってもらえば? 洞木さんと綾波は」
「・・・あー、なるほど。それ、いいアイディアね」
「準備はさ、前の日にしとけばいいよ。それで、洞木さんにカード・キー渡しといて、勝手に入って待っててもらえばさ」
「あんた、頭いいわね」
「ケーキは予約しといて、ネルフの帰りに受け取ればいいし・・・。あ、でも料理の下ごしらえは済ませとかないといけないか。朝から忙しくなるな」
「学校サボっちゃえば? どうせ二時間目までしかいられないでしょ?」
「ダメだよそれじゃ。洞木さんにカード・キー渡せないじゃないか」
「あ、そっか。じゃあ、あたしだけ学校行けばいいんじゃない?」
「うん、まあ、キー渡すだけなら、それでもいいんだけど、その他にも、洞木さんには、やって欲しいことがあるんだよね。その連絡もしないといけないから、少なくとも、ぼくは学校に行かないと」


アスカが何か言い掛けるのを見て、シンジが慌てて続けた。

「あ、ごめん、説明してないことが多くて・・・」
「うん。まあ、それは、いいけど」


アスカは、少し考え込んだが、やがて口を開いた。

「ねえ、あたしも手伝わせてよ」
「え? いいよ、悪いよ」
「そうじゃなくて。なんか、あんたたち、楽しそうじゃないの。あたしだけ除け者なんてイヤよ。折角あたしのためのパーティなのに」
「あ、そういうことか」
「どんな計画なのか知らないけど、スケジュール変更の影響はあるでしょ? あたしもチェックするから、説明しなさいよ」
「うん。分かった」
「じゃあ、ちょっと、こっち来なさい」
「あ、これから?」
「善は急げ、って言うでしょ?」


リビングの中央に出されたテーブルの上には、ノート、画用紙、コピー用箋、飾り付けの見本などが雑然と置かれており、その脇にはシンジが一人で座っている。その背後のキッチンの方からは、アスカがキャッキャと話す声が聞こえていたが、やがて、「じゃー明日ねー」という声に続いて受話器を置く音がした。

「ヒカリもだいじょぶだって。お泊まり」
「良かった。じゃあ、これで行けるね」


リビングに戻ってきたアスカは、テーブルの角を挟んでシンジの左側に座ると、赤ペンで修整の入ったスケジュール表に目をやった。

「楽しいパーティになりそうね」
「うん」
「ところで、この、罰ゲームって、具体的に何すんの?」
「ああ、これは、サイコロ振って、出た目のテーマでスピーチしてもらおうか、って」
「へー。コーラ一気飲みとかじゃないんだ」
「加持さんにそんなことさせるわけいかないでしょ?」
「それもそうか。で、スピーチのテーマって、どんなの?」
「うん。それはこれ」


シンジは、おどろおどろしい書体で“恐怖の罰ゲーム表”と書かれた画用紙を取って、アスカの前に置いた。

「ふうん。“最近あった面白かったこと”か・・・。これ、誰が考えたの?」
「え? いや、ぼくと洞木さんで、」


皆まで言わせず、アスカが目をむいて叫んだ。

「なによこれー!」


アスカの指差した“5”の目のテーマには、“プロポーズの場所と言葉”と書かれている。

「あ、これ? これは、綾波が、どんなふうにプロポーズして欲しいと思ってるか聞いてみたいって、洞木さんが」


アスカは、瞬間、きょとんとした顔をしたが、すぐに破願し、手を叩いて大笑いした。

「ヒカリ、ナイスだわ」
「ゲームは四種類くらい用意できる予定だから、サイコロも少なくとも何回かは振ることになると思うよ。アスカも、負けたらちゃんとやるんだよ?」
「えー、あたしのパーティなのに?」
「そうだよ。イヤなら負けなければいいんだからさ」
「はいはい」


アスカは、“恐怖の罰ゲーム表”をテーブルの奥の方に押しやると、 “お料理・メニューと分担”“飾り付け・作り方・分担・配置図”などと書かれたコピー用箋に目をやった。

「それにしても、あんた良くこんだけ考えたわね」
「え? いや、ぼく一人じゃなくて、洞木さんがいろいろ教えてくれて、綾波にも相談しながらだから・・・」
「ふうん」
「でも、なんか、考えてたら楽しくってさ」
「そう?」
「うん」
「あんた、パーティ苦手なんじゃなかった?」
「え? うん、そうだね、あんまり得意じゃないかな」


シンジは、照れ笑いしながら答えた。アスカは、ちらっ、とシンジの方を見たが、すぐにまたテーブルに目を落として、小さな声で言った。

「あたしのため?」
「え?」


シンジは、すぐには答えなかったが、やがて口を開いた。

「そうだよ。アスカの誕生日なんだから、当たり前じゃないか」
「・・・そっか、当たり前か」


アスカは、シンジを見据えると、“スケジュール”の赤の書き込みが入ったあたりを指差して言った。

「明日はここの変更を二人に説明すればいいってわけね」
「うん」
「じゃあ、今日はこれでいいでしょ。あんた、そろそろ晩ご飯作る時間じゃないの?」
「あ、ほんとだ。ごめん、すぐやる」


シンジは、テーブルの上のものを片付けると、廊下の方へ出て行った。アスカは、それを無言で見送ると、暫く、ぼーっ、と座っていた。が、やがて立ち上がると、顔を上げ、やはり廊下の方に出て行った。その後すぐに、家中に通る大きな声が聞こえてきた。

「シンジー、今日の宿題、あたしやっとくから、あんた丸写ししていいわよ!」


「さあ、じゃあ、みなさん、いいですか?」


葛城家のリビングに集合した面々を前に、シンジが切り出すと、つまみ食いを禁止されていたミサトが、やれやれ、という表情で慨嘆した。

「やっと食べられるわー」
「おいおい、先に乾杯じゃないのか? そうだろ、シンジくん?」
「はい。乾杯の音頭は、いちばんお腹が空いてる人がいいそうなので、ミサトさん、お願いします」
「えー、そういうこと言うわけー」


すっかり飾り付けの施された葛城家のリビング。テーブルには、十四本の蝋燭の立ったケーキと、パーティ料理が並んでいる。その周りに座った、自分を除く四人が一斉に笑う中、指名を受けたミサトが、膝立ちになって挨拶を始めた。

「えーと、大幅に予定がズレちゃったけど・・・、アスカ、待たせちゃってごめんね」
「あたしはいいからヒカリに謝ってよ。四時間も一人で待ってたのよ?」


ヒカリは、苦笑いしつつ、顔の前で手を左右に振って、「いえいえ、そんな」と小声で言った。

この日は、オートパイロット・システム開発に向けたテスト中に、ネルフ本部施設への使徒の侵入があり、ミサトはその対応に追われていた。テスト中だったシンジたちパイロット三名は、使徒との接触を避けるため、ジオフロント内の地底湖にプラグごと射出され、回収されたのは夕方になってからだった。それでもシンジとアスカは七時半に帰宅することができたが、レイは、模擬体に使徒の接触があった影響を検査するため、未だ本部に留め置かれている。お腹を空かせたミサトと加持が葛城家に現れたのは、つい先ほどのことである。

「飾り付けだって、お料理だって、全部ヒカリがやってくれたんだから」
「あれ? お料理、シンちゃんじゃないの?」
「あ、今日は、ぼくは下ごしらえだけで、仕上げは洞木さんです」
「へえ、そりゃすごいな。見事な連繋プレーじゃないか」
「だいたいミサトが一本電話すれば済むハナシじゃないの。何でほっとくのよ」


ミサトは、ぐっ、と詰まり、どう説明したものかと思案顔である。

「まあまあ。今日は葛城はそれどころじゃなかったんだよ。その辺で許してやってくれ」
「加持さんがそう言うのなら仕方ないわね」


ミサトは、ひとつ「えへん」と咳払いすると、続けた。

「えー、お集まりの皆様、本日はお忙しいところをようこそお出で下さいました。これより、惣流・アスカ・ラングレーさんの十四歳のお誕生日をお祝いするパーティを始めたいと思います。僭越ながら、乾杯の音頭を取らせて頂きますのは、葛城ミサトでございます」


加持が、ぱちぱちと拍手をし、皆がそれに続いた。ミサトは、手でそれを制し、真顔になると、続けた。

「アスカ、おたんじょうび、おめでとう。ここでは、あなたには苦労かけてばっかだけど、その間、少しでも楽しいことを見つけてくれたら、うれしいわ」


アスカが、こくり、と頷いた。

「それじゃ皆さん、ご唱和下さい」


ミサトがグラスを掲げ、「かんぱーい」と言うと、皆がそれに続き、グラスを傾け、やがて拍手になった。


部屋の壁を背にした、お誕生日席のアスカの右隣には、加持が座っている。そのグラスが空になったのを目ざとく見つけたアスカは、350mlのビール缶を持って、「加持さん、どうぞ」と差し出す。それを見たシンジが、さっ、と席を立つ。

「主賓に注がせてばっかで申し訳ないな」
「加持さんに会う口実に誕生パーティやってるようなもんだもん」


しかし、半分ほど注いだところで、缶は空になった。

「あれ?」


アスカが空缶をテーブルに置いて、「シンジー」と大声を上げたところに、キッチンから良く冷えたビール缶を一本持ってきたシンジが姿を見せた。

「これ?」
「そ。もうちょっと、まとめて持ってきたら?」
「ぬるくなっちゃうよ」
「あんたがいちいち持って来るのたいへんじゃないの」
「いいっていいって。今日は幹事だし」


そのやりとりを、アスカの左隣に座っているヒカリが笑顔で眺めている。

シンジは、ヒカリの隣の席に戻ったが、頃合と見たか、「それじゃ、そろそろ、プレゼントとメッセージの贈呈を・・・」と言った。

「じゃあ、俺からでいいかい?」


そう言うと、加持は、背後に置いてあった紙袋から、包みを一つ取り出した。

「アスカの誕生パーティに出させてもらうのはこれが二回目だけど、今回はまた、すごく楽しそうだな。アスカなら、こっちへ来てもちゃんとやってけるとは思ってたけど、同年代の友達がたくさんできて、ほんとに、良かった。次の一年も、楽しいことがたくさんあって、また、こうやって楽しく誕生パーティができたらいいな。これは、何かそういう楽しい思い出を残していくのに役に立ててくれたらいいと思って、選んでみた」


加持が差し出した包みを受け取ったアスカは、うれしそうに「ありがとう!」と言った。

「開けていい?」
「もちろん」


出てきたのは、木製のフォト・フレームだった。温かみのある色合いで、可愛らしい花と動物のレリーフが施されている。

「ありがとう・・・ございます」
「どういたしまして、お姫さま」
「加持さんの写真入れよっと」
「はは、光栄だね」


ミサトからは、アイポッド・シャッフルが、ヒカリからは、レイと二人で選んだというローズのコロンが、それぞれ心の篭ったメッセージと共に、手渡された。アスカは、感極まったようで、神妙な顔で受け取っては、丁寧にお礼を言った。

「シンちゃんの番よー?」


ヒカリからプレゼントが渡されても動こうとしないシンジを見て、ミサトが声を掛けた。

「えっと、そうなんですけど・・・。ねえ、アスカ、ぼく、後でもいい?」


シンジは、そう言ってアスカの方を向いた。

「ん? 別にいいけど、どうして?」
「うん、ちょっと、準備ができてなくて・・・」
「あらー? なあに、シンちゃん、どういうこと?」
「いや、あのう、あはは・・・」


シンジは、恥ずかしそうに下を向いて、「ごめん」と小さな声で言った。

「いいわよ。あんたからのプレゼントは、このパーティだけで、十分だし」
「うん、あの、後で、必ず、渡すから」


シンジは、立ち上がると、皆に言った。

「えっと、お腹空いた人は言って下さいね。お食事の用意があります」


ミサトが勢い良く手を上げて、何か言おうとしたが、

「でも、デザートにケーキがあるので、あんまり食べ過ぎないで下さいね」


と遮られ、何も言わずに手を下した。


楽しかった宴もいつかは終わる。 “今さらヒトには聞けないギモン”が、「EVAって、『エヴァ』って読むの? 『エヴァー』って伸ばすの?」で、微妙な空気を作ったミサトは、昼間の件の後片付けのため、十一時を回ったところで再びネルフへと戻っていった。ヒカリお手製の激辛クッキーに当たってしまい、図らずもアスカにプロポーズすることになってしまった加持も、ミサトと共に辞去した。ハイ&ロー・ゲームで三連敗を喫するなどで、スピーチのネタが尽きたために一曲披露するハメになったシンジは、台所の後片付け。リビングの飾り付けを外し、ゴミを片付けたのは、本日負けなしのアスカと、姉の恋人のクセの話でウケを取ったヒカリだった。今や、すっかり片付いたリビングに敷かれた二組の布団の上には、お風呂上りの女の子が二人座り込み、第二ラウンドが始まっている。

シンジが顔を出したのは、アスカが早速コロンを数滴垂らして、ヒカリと香りを確かめているときだった。

「アスカー、ちょっといい?」
「うん? いいわよ、入んなさい」


シンジは、少し気後れした風だったが、おそるおそるリビングに足を踏み入れた。

「ほら、あんたもかいでみなさいよ」


アスカが左手をシンジの方に突き出した。シンジは、アスカがあぐらをかいている布団の脇に自分も座り込むと、鼻をひくひくさせた。

「いい匂いだね」
「でしょー? ほら、ヒカリ、ばっちりだって」
「よかったー。いろんな匂い嗅いでたら、どれがどれだか良く分かんなくなっちゃって」


うふふ、と笑う少女二人の脇で、シンジが小さな封筒を取り出した。

「これ、さっき言ってた、プレゼント」


アスカはシンジの方を振り向くと、優しく微笑んで、それを受け取った。

「ありがと。あたし、今日はとても楽しかった」
「良かった。・・・綾波、来られなくて残念だったね」
「うん・・・。ま、しょうがないわよ。エヴァのパイロットやってれば、こういうこともあるってこと」


シンジとアスカは、束の間、見詰め合ったが、ヒカリの視線に気付いたのか、アスカが先に目を逸らした。

「で、これなあに?」
「うん。結局、三等は当たらなかったんだよね。だけど、五等が当たったから、アスカにあげようと思って」
「開けていい?」
「うん。いいよ」


アスカが、封筒をキレイに開こうとしているとき、ヒカリが口を開いた。

「三等とか五等とかって、何のこと?」
「ああ、えっと、駅裏の商店街の福引の景品なんだよね、これ」
「あー。じゃあ、」


ヒカリがアスカに向かって何か言いかけたが、アスカが、シンジから見えない方の目で、ヒカリに向かってしきりにウィンクを送った。ヒカリは、ふふっ、と笑って、話題を変えた。

「何が入ってるの?」


アスカは、紙幣ほどの大きさの紙を取り出した。

「なるほど。映画の割引券か」
「そうなんだよね。タダ券ならもっと良かったんだけど。でも、どの映画でも500円で見られるみたいだから」
「そっか・・・。ありがと」
「いや、そんな、結局しょぼいもので、ごめん・・・」
「いいのよ」


アスカが、手元のチケットをひっくり返して裏面を読もうとすると、重なっていた紙がズレた。それを見て、割引券が二枚入っていることに気付いたヒカリは、「あたし、ちょっとお手洗い・・・」と言いながら、腰を上げた。アスカは、ヒカリの方に軽く頷くと、手元の紙を見ながら、続けた。

「二枚入ってんじゃない」
「うん。良かったら、洞木さんと見に行ったら?」


アスカの後ろを通り過ぎようとしていたヒカリは、立ち止まると、渋い表情でシンジの方を向いた。

「碇くん・・・」


シンジがヒカリの顔を見上げた。

「それはいくらなんでも、」
「それいいわねー」


アスカが振り返ってヒカリの方を見上げ、続けた。

「ね、ヒカリ、一緒に行こ」
「え? えーと・・・」


ヒカリは、困ったような顔をして、自分の方を見上げているシンジとアスカの顔を交互に見た。ヒカリが答えられないでいると、アスカはシンジの方を向き直り、口をとんがらかせて、言った。

「いつまでそんなとこにいんのよ。今日はもうここは立ち入り禁止。子どもはさっさと寝なさい」
「あ、そっか、ごめん。じゃあ、おやすみ。洞木さんも、おやすみなさい」
「うん・・・。碇くんも、おつかれさま」


シンジは、立ち上がると、廊下を自室の方へと歩いていった。

「あの福引券は、このためだったのね」


結局手洗いには行かなかったヒカリは、布団の上に戻ると、言った。

「うん。あんなにいっぱい、ありがとね」
「いいのよ。あたしが引いても、どうせハズレばっかだし。高く買ってもらって助かっちゃった」
「シンジには、内緒にしといてくれる?」
「・・・どうしよっかなー」
「えー、お願いよー」
「じゃあ、ひとつ、条件があるんだけど」
「なに?」
「映画は、碇くんと見に行って」
「い、イヤよ、あたしは、加持さん一筋なんだから、」
「いいじゃない、映画くらい。碇くんは、今日のお礼をしてもらう権利があるもの」
「それならヒカリだってあるじゃない」
「それもそうね。じゃあ、その権利も碇くんに譲りまーす」


ヒカリは、ぴょこん、と右手を上げた。

それを見て、くすっ、と笑ったアスカは、割引券を再び封筒にしまおうとして、何かもう一枚、折り畳んだ紙が入っていることに気付いた。

「ん? 何、これ?」
「なあに?」


メッセージ・カードだった。その片面には、“アスカへ”と宛書きされ、その下に小さな字で、 “ごめんね これを書く時間がなくて さっきは渡せなくって”と書いてあった。

「ラブレターじゃない?!」


ヒカリが、興奮しながらも、抑えた声で言った。

「違うわよ。ただのメッセージでしょ」
「ね、ね、読まないの?」
「ちょっと待って」


アスカがそっと開けたそれには、シンジからのメッセージが書かれていた。

           お誕生日おめでとう!
          アスカがうちに来てくれて、ホントによかった
          来年も、誕生パーティやろうね




アスカは下を向いた。

「・・・あのバカ」


翌日、十二月五日の土曜日。葛城家から三人揃って登校する途中、ヒカリの笑顔の脅迫に負けたアスカは、已む無くシンジを映画に誘った。放課後のお買い物の前に、二人が駅裏の映画館に立ち寄ったのは、そういう理由だった。

「案外、面白かったなぁ」
「そう?」


映画館から出た後、二人並んで石畳の道を駅方面に向かう途中、シンジが訊ねた。

「あれ? 面白くなかった?」
「ううん。良かったわよ。・・・ちょっと泣けるわね」
「うん。もっとつまんないかと思ったけど」
「なによあんた、つまんなそうなのを選んだってーの?」
「え? いや、違うよ。アスカに喜んでもらえそうなのを、って、それしか考えてなかったからさ」
「・・・ふうん」


アスカは、複雑な表情でそう言うと、「ま、いっか」と付け加えた。

「それで、福引当たってたら、何をくれるつもりだったわけ?」
「うん。イヤリング」
「へー。どんなの?」
「説明するの難しいんだよね・・・。あ、じゃあ、こっちにそのお店があるからさ、おいでよ。一緒に見よう」


そう言って、少し先の路地へと入っていくシンジの後を、アスカがついていく。小さな声で、「ありがとう」と言ったかもしれないが、シンジは気付かなかったようである。

おしまい



☆あとがき

“向日葵の咲く丘で”をお楽しみのみなさまはじめまして。加古いくと申します。
2月9日は向日葵さんのおたんじょうび。
それをお祝いさせて頂くべく、おたんじょうびネタのLASを一本献呈させて頂きました。
作中のシンジくんのように、おたんじょうびをお祝いすることの意味など分かっていないぼくではありますが。
作中のアスカのような、広い心でお受け取り頂ければ幸いです。


以下は、諸方面にご迷惑をお掛けしないよう、予め言い訳です。



  • 本作は、原作である「新世紀エヴァンゲリオン」の第拾参話「使徒、侵入」の前後のサイド・ストーリーとして描かれております。
  • 本作では、原作でネルフ本部への使徒の侵入があった日が、アスカの誕生日である12月4日のことであったとしています。しかしこれは、本作の勝手な設定であり、原作にそれを窺わせる描写は全くありません。
  • 「駅裏」なる地域の描写に関しても、原作にはありません。その他、シンジ達の通う第壱中学校が箱根山沿いにあることや、最寄り駅の名が“仙石原”であること、学校から駅への道が下り坂であり、シンジ達の暮らすコンフォート17がそれとは反対方向にあることなども、本作の勝手な設定です。
  • 本作に出てくるクリスタル細工とその価格は、オーストリアのクリスタル製造会社 “Swarovski” とその作品を参考にしてはいますが、同社の実在の作品やその価格とは無関係です。また、同社が、地域の商店街に加盟するような店舗を展開することがあるかないかについても、本作は如何なる示唆をもするものではありません。


加古いくの他の作品はこちらからどうぞ。



☆向日葵談

いくさん、ありがとうございます♪
いつも仲良くしていただいているだけでもありがたいのに、
その上、こんなに素敵な作品でお誕生日をお祝いしていただけるとは!!

まったく乙女心がわかっていないシンジがかわええですなw
それに振り回されているアスカとの微妙な関係もよいですね。

いくさん、本当にありがとうございました。




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